日本高麗手指鍼学会 HOME
高麗手指鍼とは 役員紹介 器具紹介 入会案内 ガイアそうこだより
ガイアそうこだより
トップページ > ガイアそうこだより
Back Number
鍼灸治療室 ガイアそうこ
【事務局】
鍼灸治療室 ガイアそうこ
地図→
お問い合わせはFAX又はメールにて
FAX:052-961-1090
Email
kourai@gaiasouko.com
ガイアそうこだより

会員様宛に発送しているお便りです。

地球創庫だよりNo.41

人生の「踊り場」

ニューヨークで開業している精神科医・石塚幸雄氏を訪ねてくる患者さんには場所柄、日本人のビジネスマンが多いという。心身ともボロボロに疲れ果てた末、初めて精神科医を訪ね、診察を受けた患者さんに石塚氏はいつもこう言うのだそうだ。「おめでとう。あなたはストレス症です。」
 なぜ「おめでとう」なのかは後で触れるとして、患者さんの一人にA氏がいた。前任者が、能力の限界を感じて帰国してしまった為、空席になっていたニューヨークのオフィスに、A氏は志願して赴任した。「デキる男」と、自他ともに認める40代前半の働き盛り。だが、赴任してみると自信のなかった語学力が響いた。部下は全て米国人。辞書を片手に英文書類に取り組まなければならなかったし、おぼつかない英語でスタッフ間のもめ事も仲裁しなければならなかった。あれやこれやで毎日夜更けまで働き続ける日が二ヶ月も続いた頃から、A氏は不眠症に悩まされ、極度の疲労感を覚え始めた。そして能力の限界を感じ、「自分はもう会社にとって無用な人間だ」と自ら評価を下すようになった。最終的に彼がたどり着いた解決策は、自殺。
 ストレスが許容限度に達したとき、人間がとる反応には5つのパターンがあるそうだ。「突破」、「抵抗」、「中毒」、「撤退」そして「自殺」。
 A氏は人一倍責任感が強く、失敗を認めたがらない性格だった。言い換えれば、ストレスの高まりに対処する柔軟性を欠いていた。A氏の場合は未遂ですんだ。不幸中の幸いだった。A氏の処遇について石塚氏は、会社に強く要望した。「しばらく治療休養させた後、必ず現職に戻して下さい。転属させてしまったら、A氏は二度と立ち直れないでしょう。もともと能力のある人なんですから、これで潰してしまったら、会社にとっても大きな損失です。」
 会社の理解と支援に恵まれて、A氏は今、復帰し元気いっぱい働いている。石塚氏は言う。「ストレス症はいったん完治すれば許容限度が広がり、より強靱な精神の持ち主になれるんです。つまりストレス症は、対処法さえ間違えなければ、次の成長のための踊り場になるのです。」だからあえて「おめでとう」なのだ。
 以上は、この夏初めて会った、さわやかな青年に聞いた話の概要です。暑さと疲労でストレスが溜まっている方に参考になれば幸いです。                   (服部)
 ご意見番コーナー
8月2日に勉強会の講師をしました。人前で話をするのは初めての体験でした。当日までは大したことはないだろうと高を括っていたのですが、日にちが近づくにつれて教えることの難しさを少しずつ実感してきました。よく人前で話すときは自分の知っていることの半分でも伝えられたら良い方だという話を聞くのですが、本当にその通りだと思います。実際に当日はいろいろな質問をされて、改めて自分の知識不足を思い知らされました。また、わかっていることでも人に伝えることの難しさをひしひしと感じました。「名選手、名コーチにあらず」という言葉がありますが(私は決して名選手ではありませんが)、本当にその通りだなあと思いました。講習も1時間延長してしまい、
終了後は疲れもどっと出てきました。(受講して下さった皆様には、大変ご迷惑をおかけ致しました。) でも、人に教えることに憧れている私にとっては楽しい時間でもあり、本当に良い体験だったと思います。機会があったらまたぜひ体験してみたいです。まずは、30日の第2回手技療法講座で頑張ります。第1回を受講されていない方でも参加できますので、私の情熱あふれる講座を皆さんもぜひご体験下さい。   
                            (柳)    

地球創庫だよりNo.42

タイへの往診

 9月10〜14日まで、N氏の友人でタイ人のYさんの治療に(タイへ)行って来ました。バンコク市内の一画全部、とてつもなく広大な敷地の、緑多い病院でした。端っこの方にある3階建ての病棟の3階特別室にYさんはいました。
 どうしてタイまで治療に行ったかというと、よくわかりません。N氏から「タイへ治療に行ってほしい」(8/8)と依頼されたことが発端でした。しかし、その後の遠隔治療の不思議さを体験しなければ行かなかったと思います。わざわざとか、万障繰り合わせてとか言うのではなく、緊張も気負いもなく、何気なく行ってしまいました。
 Yさんは車の助手席にシートベルトをしないで乗っていて事故にあったそうです。車がゴロゴロ転がるうちに車外へ投げ出され、右頭部、顔面部を強く打ち、頭蓋骨骨折、脳挫傷、右目の周りの骨も陥没骨折し、10日間くらい意識不明だったそうです。
 実際のYさんに出会って、思っていたより元気で、しっかりしていると安心しました。しかし、左半身不随、右顔面拘縮、感情、感覚上すべり、今誰と話しているか、何を話しているか分からなくなる、ろれつがしっかりしない等、強い後遺症を抱えていました。これ以上、良くならないから自宅療養を勧められ、いつ退院してもいいと言われていたそうです。
 1日目の治療は、集中力散漫な患者に置鍼ができず、両手を押さえてもらって、座位で5分間置鍼をしました。右脳にある循環不良部分(損傷、血栓など)を取り除くため右手中指の相応部位から瀉血をしました。短時間の治療後、立たせてみると細くなっている左足で体重を支えられるようになり、歩けました。
 2日目の治療前にろれつがしっかりしている事が分かり、3日目の治療後、こじ開けても開きづらかった右目が、指で軽く開くようになりました。3日目の治療は自分で左手がキッチリと開き、20分間置鍼できました。脳挫傷によるボケ症状も、感情が深くなってゆくと、良くなっていくに違いないと確信できました。
 2,3ヶ月後に、もう1度会いに行くことにしました。                (中山)
 ご意見番コーナー
先日、久々の丸一日オフができましたので(半ば強引につくったのですが)、友人と大阪へ遊びに行ってきました。車で片道3時間の道のりでしたが、久しぶりの開放感を味わいながらのドライブは、快適そのものでした。
 人の少ない遊園地で、ジェットコースターにのって叫んだり、お化け屋敷で盛り上がったり、観覧車で感動したりなど思う存分半日を費やし、残りの半日を水族館で過ごしました。移動中に大阪城や大阪ドームも見つけ、一日中笑ってばかりいたような、夢のような楽しい時間を送ることができました。
 友達と一日かけてどこかへ遊びに行くなんて本当に久しぶりのことで、自分でも寂しい人生を送っているなあとも思いましたが、こうした一日が送れることにも本当に感謝したい気持ちです。
 夢のような楽しい一日が過ぎると、その後は、相変わらず仕事三昧の毎日ですが(もちろんそれも充実しているのですが)、ますますパワーアップして元気に仕事をしています。往診の仕事も少しずつ入るようになり、本当に勉強をさせて頂いているなあと有り難く思っています。
 しかし、時にはこうして日常を忘れて時間を過ごすことも、私にとっては必要なのかもしれないと、楽しかった時間を思い出しながら感じる今日この頃です。またいつか、どこかに行こうと思っています。
                             (伊藤)     

地球創庫だよりNo.43

 病院への往診

先日、久しぶりに自分の患者さんが亡くなりました。といっても治療したのは1回きりだったのですが、いろいろと考えさせられました。
 その方は90歳を過ぎた高齢の女性で、4日前に危篤状態にまで陥ったのですが、なんとか持ちこたえ、病院に入院中ということでした。
 その女性は知人の親しい友人で、「ダメでもともとだと思っているし、一度でいいからみてやってくれないか」と熱心にお願いされ、つい引き受けてしまったのです。
 病院内で、先生に内緒で治療をするという事は、私にはよくあるのですが、患者さんに出会い、身体中に繋がれた管や、周りを囲む機械を見る度に圧倒されます。巨大な象に立ち向かう蟻の様な心境になります。思うことはいつも同じで、私が治療をしたとしても何が変わるのだろうかということです。西洋医学と東洋医学の違いは余りにもたくさんありますが、外からの薬で治療をする西洋医学をメインとしている患者さんに対して、内からの薬を引き出す東洋医学はあまりにも微力に思えてしまいます。と同時に、西洋医学と東洋医学の「いいとこ取り」の治療は可能なのだろうかとも考え、私自身不可能だと思っているだけにためらってしまうのです。
 
それでも先月、82歳の入院中の女性に対しての鍼治療が、医者が奇跡と驚く程効果をあげました。良くても車椅子といわれていたのに、自分の足で歩けるまでに回復したのです。もともと人間の身体は治るようにできていることを考えれば当たり前のことではありますが、治療家としての自覚がない私は、このようなことが起こる度に「いのち」のすごさにビックリしてしまいます。そして、人間の持つ治癒力の素晴らしさに敬服してしまうのです。西洋医学東洋医学云々よりも、やはり最後は患者さん自身の生命力なのかなあという気もしてきます。治療家は、西洋医学にしても東洋医学にしても患者さんが治るためのお手伝いに過ぎないということを忘れてはいけないと改めて思いました。

 さて、往診を引き受けました患者さんは、やはりいろいろな管が身体に取り付けられ、機械に囲まれていました。お休み中だったのでご家族の方に病状をお聞きし、少しだけ鍼治療をして帰りました。治療の翌日は身体の調子も良く、呼吸がすごく楽になったそうなのですが、約一週間後に亡くなられてしまいました。
 私自身の気持ちの中で、何となく中途半端に関わってしまったことは今でも深く反省しているのですが、一つの治療法を続けながら全く別の治療を行うというのは考えてみると無謀なことで、治療をした方が良かったのか、しなかった方が良かったのかは今でもわかりません。いろいろと考えさせられた治療でした。                                   (伊藤)
 ご意見番コーナー
                                 

地球創庫だよりNo.44

タイへの往診 その2

 11月11〜16日まで、N氏とS氏と私3名で2回目のタイへの往診をしてきました。
 バンコクの空港へ迎えに来ていたYさんの足どりは強く、言っていることも明瞭で、以前とは比べものにならない程良くなっていました。右目が見えず、左手が不自由ではあっても、精神状態、記憶は格段に良く見受けられました。
 しかし8月〜10月の3ヶ月間の記憶が全くなく、廻りの状況認識が出来るようになって12日目だと本人は言い、不安と恐怖感に押しつぶされる思考に入り込むと、トンチンカンな言動が始まるようでした。
 そして鍼と灸に対する恐怖感が強く、11日は全く治療を受け付けてもらえませんでした。12日も午前中に、中指の甲側に4〜5枚のT鍼を張り付けるのがやっとでした。しかしその効果が午後になって現れ、右目が少し明るさを感じ、楽にパッチリ開くようになり、その感覚を確かめていました。夜もT鍼を張り、次の日は鍼と灸をやってもいいと言い出しました。13日〜15日迄、朝晩2回手指鍼と手指灸を繰り返しました。
 14日の昼に、右の耳が聞こえると言い出し、それまで聞こえなかったことを知りました。その日から、右目も右耳も感情の起伏によってまっ暗になったり、聞こえなくなったりを繰り返し始めたのです。冷たかった左手は、14日の夜の治療中に熱くなり、ポカポカしてきて力が入るようになりました。16日の早朝の治療まで7回、シッカリ鍼灸をやりました。
 今回の治療によって身体のレベルは確実にアップしました。しかし、いちばん心掛けていたことは、乱れもだえているYさんの気持ちを何とかしなければならないことでした。それは恐怖、絶望、落胆を追い出すことであり、自分の「いのち」をいのちのままに信頼し、有り難く、安心感を持てるようにすることでした。
 治療後は、気分の安らぎが増したように見受けられ、往診はまずまずの成果でした。
                                                        (中山)
 ご意見番コーナー
                                

地球創庫だよりNo.45

 年の瀬を迎えて

 今年もいよいよ最後のお便りを書く時期になってしまいました。一年が無事に過ごせるという事がとても幸せだという思いが年々強くなってきます。
 特に今年は皆様のご協力で、鍼灸治療室「ガイアそうこ」をオープンする事ができました。
 10名程のキャストの方と顔を合わせ、数多くの患者さんとお話をしているうちに9ヶ月(開業以来)が過ぎてしまいました。決して良いことばかりではありませんが、毎日患者さんとキャストの笑顔を見ると頑張ろうという気力が湧いてきます。
 中国の故事成語に「草創(創業)と守文(守成)と孰(いず)れが難き」というものがあります。これは、唐の太宗皇帝が侍臣に「創業と守成はいずれが難しい」と問うた時、群雄割拠の時代に創業の苦労をいやというほどなめた房玄齢は、「創業は難し」と答え、戦後の占領行政に骨身を削っていた魏徴は、「守成は難し」と答えました。そして太宗が「両者とも最もな意見だ」と裁いた話です。
 又、作家 田村喜子さんが「継続は力である。人世(ひとよ)で最も厳しいこと、それは続けることである」と随筆で書いてみえます。この2つの言葉を胸に来年も頑張ってゆきますので、、よろしくお願い致します。
 会員の皆様も良いお年をお迎え下さい。          (服部)
 ご意見番コーナー
 仕事の忙しさに追われ、このコーナーも久しぶりです。今の時期は季節的にも講習・講演会は少ないのですが、この頃「地球創庫」の役割をきちんと果たせていない気がして仕方がありません。いつか地球創庫も役目を終えるときは来るとわかっていますが、今のところは治療室の仕事の忙しさに逃げていた気がして反省しています。やっと周りが見えるようになってきた今、地球創庫のスタッフも私自身も、これから本当に大切にしたいものは何なのか、年末年始の休みの間にゆっくり考えてみたいと思います。
 先日、朝7時の伊勢神宮へ行って参りました。人気もなく、大きな樹木の下は本当に気持ちが良く、心が洗われるようでした。その後行ったパールロードから見下ろす海も、キラキラと輝いて何だか本当に感動的でした。人と海は何か繋がりがあるのでしょうか。
 今年は本当にいろいろなことがあった1年でしたが、来年も「いつも反省する心」と「ささやかなことに感動できる心」は、常に持ち続けたいと思っています。                             
                            (伊藤)    

地球創庫だよりNo.46

タイ人のYさんから豪傑S氏〜その1〜

*タイへの往診その1、その2で書いたYさんが、奥さんと子供1人と共に3名で瑞浪まで治療に来ました。12月11日、1ヶ月ぶりに見たYさんはとても元気で、初めて出会った9月の状態からは想像もつかない回復でした。
 毎日9日間、連続治療をして身体は全て回復し、異常反応はなくなりました。本人の感覚では右目の見えないことが重大事で、自信が持てないみたいでしたが、最後のスイッチを入れるのは本人自身であることを説明し、文に書いてあげました。
『まず自分を信じること。すぐに弱音をはいたり、人を悪く言うと元気をなくし、運に見放される。お願いはしない事、お礼を言う。(お願いは理由(欲・依存心)があるから)生きている事、元気でいる事を喜べなければ「いのち」の力が発揮できない。』
(これは、先月5日の山下先生を囲む会で、先生が話されていたことです。)
 Yさんは12月20日にタイへ帰っていきました。
*12月20日、「末期癌の痛みはとれますか?」と電話がありました。
 「痛みがあれば多分とれると思うから来て下さい。」 1時間もしないうちに20qくらいのところからタクシーでやってきたS氏(69歳)と奥さん。S氏は痛み止めの薬も効かなくなって、前かがみで身体を縮めて痛みをこらえていました。奥さんの説明によれば、1年前に右腎臓を癌のために摘出。今は肝臓癌と左肺癌で、疼痛に苦しんでいるとの事。掌で調べてみると、肝臓に数個、左肺にいっぱい癌反応がありました。
相応部位をしるし、三一体質、五治処方を決めてから、相応部位に瀉法をしました。
すぐさま体中の力みがなくなり、「息が楽になった」「背筋を伸ばすと、まだ少し右胸が痛い」とS氏。痛みの相応部位を探し、2、3カ所瀉法を加えると、「痛みがなくなった。楽だ。」と言い、顔つきから顔色まで変わってきました。手指鍼と灸をしました。
 その日から9日間、毎日治療に来られました。3日目からは自分で運転して来られ、7日目には肺、肝臓とも癌反応が消えました。
 信じられますか?
 このSさんが豪傑と呼ぶにふさわしいエピソードは、次回のお楽しみにして下さい。 (中山)
 ご意見番コーナー
地球創庫の会員様にとっておきの?大ニュース

  美濃廣庵  代表 成瀬 広晃
《美濃廣庵 TEL0572−68−3131FAX0572−68−8309》
 
今般、私縁あって『桑原寺』のにわか住職に相成りました。
 場所は岐阜県中津川市苗木、城山大橋たもとで城山病院近くです。
中央自動車道中津川インターより下呂方面へ車で10分の場所で、高台の絶景な環境に恵まれ、何もかも忘れさせてくれる雰囲気があります。
 敷地4000坪の境内には200坪もある本堂に8000体の聖徳太子像が祀られて多くの参拝者があった観光寺でしたが、前住職が天寿を全うされ、後継者がなく、あらゆる宗派に属さない寺院であり、かつ檀家も一切なく運営が困難なため当方に運営依頼があったものです。
 はからずも全権を受けまして、只今いろいろな方面の方にご支援ご協力をお願いして奔走しています。
 施設を有効利用するためには全く新しい感覚の、お経を始め何にも一切こだわらない開かれたお寺、集会所、若しくは愚痴・不満のハケ口場所として、又研修所など大いにご利用戴こうと考えています。
 隣接する総合病院の城山病院には老健施設もあり、老人ケアーにもご利用戴ける予定です。
 そして何時でも笑いの絶えない、元気になる明るい施設として運営したいと考えています。気功をしてみえる方のお話では、大変に『気』のエネルギーが強い場所であるとのことです。いちど確認においで下さい。
 心痛める若者の再出発の場所として、人生再起を計る方の駆け込み寺としての利用をすでに計画しています。
 只今整備中で2月頃にはオープン予定ですが、何分広大な敷地と建物のため多くのボランティアの協力を求めていますので、暇と体力のある方はぜひご協力をお願いします。
 誰のものでもない、公共のものとして育てたいと考えています。
 但し、片寄った方向に行かないように常にチェックを怠らないような態勢を整えています。
 ご協力戴いてもお返しできるものは、感動と充実感、そして心地よい疲労感だけです。念のため・・・
                              (伊藤)    

地球創庫だよりNo.47

豪傑S氏を語る〜その2〜

*治療1日目
 S氏は、癌の疼痛が取れると、驚くほど落ち着いていました。大喜びするわけでもなく、当たり前の感じで、胆(はら)がすわっているように見えました。奥さんは喜んで大騒ぎをしていました。
(私)「癌は品の山と書くように、身体の中にいろんなものが入りすぎていると思って下さい。
   今は出すことを考えましょう。今やっている健康食がもし効いているとしたら良くなっているはずですから、一つ残らず、すべて止めるようにして下さい。」
(奥さん)「はい!」
(私)「痛くもないのに用心のため痛み止めを飲んだりしないで、もし痛くなっても害の ない方法を教えますから、痛みを和らげてやり過ごして下さい。」
(奥さん)「はい!」
(私)「そして、腹がすくまで何も食べないこと!栄養とか体力とかいらん事は考えないで下さい。喉も乾かないのに何も飲まない事!」
(奥さん)「それじゃあ、何を食べたらいいですか?」
(私)「昔から内臓にも胃腸にもやさしいのはお粥です。栄養は考えないで下さい。」
(奥さん)「お粥は嫌いなんです。」
(私)「じゃ、やめてください。好きな、食べたくなったものをよく咬んで、少な目に 食べて下さい。基本は、お腹もすかないのに食べない事!」
 1日目の帰りは、シッカリとした足取りで帰られました。
*治療2日目
 肝臓には、数個の傷跡(結合織・緻密結節・かさぶた)反応があったものの、肺にはそれすらありません。どういう訳か、肺にはまったく異常反応がありません。
(私)「ゆうべ、どうでしたか?」
(S氏)「せき込んで・・・。」
(私)「えらかった(苦しかった)ですか?」
(S氏)「えらくなかったが、せく度に小豆くらいの血の固まりの様なものがたくさん出 てきた。」
(私)「ヤッター、それ、癌ですわ!取ってあったら少し下さい!」
(S氏)「捨ててしまって、ない!」
 排泄は、快感を伴うことが多いみたいで、肺癌を吐き出す「セキ」は少しも苦しくなかったようです。
 皆さんはこの話、信じられますか?    次回をお楽しみに。
                                                        (中山)
 ご意見番コーナー
先月から始まりました「豪傑S氏」のお話は、皆さん如何でしょうか。私が鍼灸学校を卒業したのは8年前ですが、当時のクラスメイトは、魅力のある個性的な人がたくさんいました。変わり者が多いといわれがちな学校の中で、私達のクラスは皆仲良く、まとまりがあり、とても楽しい3年間を送ることができました。今でも何人かのクラスメイトと連絡を取り合い、交流を続けています。医学部に入学し医大生として勉学に励んでいる人、アメリカメジャーリーグで日本人投手のトレーナーとして活躍している人、アロマテラピーで最先端を行く人などいますが、一治療家として地道に実績を積んでいる人もたくさんいます。そんな中でも中山さんはスゴイなあと思う友人の一人です。今、私の目の前に同じ患者さんが来ても、あれだけのことを例えそれが真実と知っていても、自信を持って言えるかどうかわかりません。学生時代は(少しですが)私が勉強を教えてイバッていたのに、実際の治療ではほとんど逆の立場です。勉強と治療は大きく違うのがよくわかります。豪傑S氏はまだまだいろいろな展開が続きます。乞うご期待下さい! 
                             (伊藤)     

地球創庫だよりNo.48

豪傑S氏〜その3〜第1部最終回

*治療2日目以降
 肺癌が一夜にして消えてしまった後は、息づかいや呼吸の苦しさはほとんど出ていませんでした。右胸の肝臓あたりの少しの痛みを5日目くらいまで訴えていましたが、それは前かがみで痛みをこらえていた時、圧迫し続けた事と3日目の夜から執筆活動に入ったからだと思われました。
 施術で、痛みの部位や範囲が口で言わなくても、掌の検査でわかってしまう事(例:「右胸のここらあたりの細長い範囲で痛いですね?」S氏「アバラ1本分だ!」)や、掌で体幹の痛みがとれてしまうことを不思議がってみえました。(手指鍼とO−リングはスゴイ!)

 食欲は2日目の夜に出てきて「お粥が食べたい」と奥さんに訴え、少しではあったけれどもおいしく食べられたとの事。次の日から数日間は一日一食程度、少しのお粥を食べ続けられました。(ほとんど断食に近い)8日目にはカタイご飯をおいしく食べられたと喜んで見えました。

 肝臓に残っていた癌の瘢痕塊(傷跡・かさぶた様のもの)は1日ずつ上部から消えていき、7日目にはすっかりキレイな肝臓になりました。(O−リングテストによる結果)

 9日間、治療している時、毎回1時間以上話をしました。その中で心に残る話がたくさんありました。「いのち」のスゴさ、有り難さにも感動しました。
 そのうちの一つをご紹介してこのシリーズをひとまず終えます。

(私)「健康食品とか、身体にいいと思ってやっていた事をすべて、よく止められましたね!」
(S氏)「ワシは昔、シベリアで抑留生活(捕虜)をしておった。その時、若い軍医がいて、『ここには薬も何もないし、食料も乏しいが生きて帰りたかったら、この少ない食料を、おいしい、おいしい、有り難い、有り難いと食べないといかん!』と言われて、そうした。腹が減っていつも不平不満を言ってた奴は栄養失調でみんな死んだ。だから腹も減らないのに無理に食べてはいかん事は知っとった。」
(中山)
 ご意見番コーナー
先日、約8年ぶりに千島明先生にお会いしました。5月からの勉強会の打ち合わせだったですが、温厚なお人柄・千島学説に対する情熱は少しも変わらないままで、とても嬉しく思いました。1時間程で失礼する予定が約4時間、それも夕食までご馳走になってしまいました。(余談:とてもおいしかったです!)
 「千島学説」については、私自身も鍼灸学校勤務時代に校内研究発表会でお話も致しましたし、ホリスティック医学協会中部支部の月例会でもお話しさせて頂きました。
当時は、まるで相手にされず、歯がゆい思いも随分したものですが、時代の先端を走りすぎたのだと感じていました。その証拠?に5月からの勉強会について、医師からの問い合わせや講習会の申し込みが何件かあります。時代は確実に動いているんだなあとしみじみ感じさせられました。
 勉強会のご案内の裏面に、千島学説の八大原理とそれに基づく10項目が記してあります。内容が内容だけに受け入れ難い方も多いと思いますが、千島喜久男先生は著書の中でこう述べられています。「『千島の説は信じられない』と言われることはお勝手であるが、『千島の説は間違いである、事実無根である』とは私は言わせない。」      
                            (伊藤)     

地球創庫だよりNo.49

開業一周年を迎えて

 4月13日で鍼灸治療室「ガイアそうこ」が開業して丸一年になりました。皆様のお陰様で何とかここまで来る事ができました。
 一年前の開業の日、オープンと同時にまったく見ず知らずのサラリーマンの方が治療に訪れて下さった時は、本当に驚きました。それというのも殆ど宣伝もせず、ここに治療院があるというのも知らない人が多い中での出来事でしたので、治療に訪れる方があるというのが不思議に思えたからです。
 あの時からあっという間の一年でした。楽しい事、困った事、嬉しい事、悲しい事などいろいろありました。でも、今いちばんワクワクする事は9人の治療キャストと話をする事です。治療の話、世間話などいろいろですが、
それぞれ個性的で素晴らしい仲間です。このような仲間と一緒に仕事ができることが、今はいちばん幸せです。
 さて、これから二年目がスタートしますが、ハレとケという文化人類学の考え方を取り入れて行きたいと思います。ハレとは、晴れ舞台という言葉があるように、普段とは違う非日常のことです。それに対してケとは、日常生活を指します。農村では毎日単調な生活が続くと、次第に村全体の持つエネルギーが低下し、生産効率が落ちてしまいます。そこで時々普段とは全く違うこと、つまり祭りを行うことによって日常の時間の流れを断ち切って、村全体を活性化させています。このハレとケの概念を用いてリフレッシュをはかり、この一年頑張っていきますので、どうぞ宜しくお願い致します。  (服部)
 ご意見番コーナー
個人的に春はあまり好きではないのですが、桜の花はとても好きです。今年もあちらこちらで見事な桜を見ることができました。新しい年度を迎え、新しい生活を始められた方には、より一層心に残ったのではないでしょうか。 患者さんの中で、この春から大学進学のため、東京で一人暮らしを始められた方がいます。自分の東京生活を始めた時とついつい重なり「ああ、これからの人なんだなあ」としみじみ思ってしまいました。様々な出来事が待ち構えていることでしょう。心からの声援を送ります。私自身、これまでの人(?)としてこの人生を振り返ってみると、大学入学の時はもちろん、昨年の春もかなり大きな転機の一つでした。いつまで続くのかと少しの(?)不安を抱えながら、治療室は何とか一年が過ぎました。反省しきりの毎日ですが、この一年でいちばん印象に残ったことは、治療というものは、患者さんと治療師が存在してこそのものだということです。樋田先生も「治療は患者さんとの駆け引きだ」とおっしゃっていたことがありますが、本当にその通りだと思いました。今年度は治療はもちろん、バレーボール(地元の9人制チームです)にも情熱的に取り組んで行こうと心も新たにしている今日この頃です。
                             (伊藤)     

地球創庫だよりNo.50

治療のはなし

 毎日の臨床の中で、うまく治癒していく人と、なかなかうまくいかない人がいます。その場で快方に向って、その場ですっかり治ってしまう人もいれば、鍼を抜いたら痛みがもどってきてしまう人まで、いろいろな人がいて興味が尽きません。
 高麗手指鍼は素晴らしくて難病、不治の病にも威力を発揮します。しかし、人によってはあまり影響できない事もあります。
 効果の少ない人たちの共通点は、いくつかあります。
  ・まず病気に関心を持ちすぎていて、現代医学の知識で科学的に身体を
   点検する習慣を持っている。
  ・第1の関心事が自分の健康であって、楽しさ、うれしさ、他に対する
   好奇心が少ない。
  ・安心感、気持ち良さ、感動、遊び心、信頼感、充足感、一体感、明る
   さ、正義感が薄い。
  ・依存心が強く、自分で判断したり、自分で決められない。
  ・愚痴が多く、好感、楽観的な良い言葉が出てこないで、否定的感情に
   支配されている。
  ・いのちの野性、本能、あるがままを信じない。
  ・上っつらな事を大事にしていて本質に目がいかない。
  ・本音を隠し、我慢する癖がある。
 書き出すと、いくつでも出てきて、愚痴っぽくなってしまいました。
 カウンセリングで、患者さんの人を変えるなんて事はとても無理です。
せめて、本人の頭で考えるように、自分で取り組むように勧める事くらいしかできません。
 自分でどうにかしようと思った人、病院に預けたゲタを返してもらって自分ではいた人は、いきいきと生き続けています。             (中山)
 ご意見番コーナー
昨年の今頃は鍼灸治療室「ガイアそうこ」にかかりきりで、めまぐるしい毎日を送っていましたが、今年は少しながら自分の生活に余裕も出てきました。
 一応(学歴だけは?)体育会系の私ですがバレーボールをやっていると言うと驚かれる方も多く、(柔道かと思ったとはよく言われるのですが)自分でも、バレー一筋20年という年月には最近しみじみと感動したりもしています。
大学卒業後、帰郷した年に今のチーム(町民女子9人制)が結成され、それ以来ずっとお世話になっているのですが、最近、バレーの面白さを改めて感じています。今年は指導者にも恵まれ、ちょっと燃えているのです。
 私は「セッター」といってアタッカーにトスを上げるポジションをしています。6人制と違い、9人制はアタッカーが4人、またセッターも攻撃できるので、自分を含めると5人としても考えられます。その中でコンビネーションも絡めていくと、攻撃パターンは幾通りにもなるのです。
上がってきたボール、味方の調子、敵の動き、得点状況などを考えて駆け引きをし、トスを上げるのは、私にとっては至難ですが、それが決まったときの爽快感は何ともいえないものです。
 またチームも地元の大会等では上位に食い込むことが多く、それが励みにもなります。
そして練習も厳しく楽しく、常に笑いの絶えないという珍しいチームなのです。
 毎週土曜の夜、欠かさず練習に行く気になるのは、指導を受ける楽しさ、皆と会える嬉しさ、ストレスの解消等、たくさんの魅力あるからだと最近特に感じるようになりました。(土曜の夜にバレー以外に用事がないのも寂しいですが・・。)
 もう全盛期を過ぎた年齢ではありますが、トスの駆け引き一つとっても、まだまだ非常に学ぶべき点があります。それは、今年から特にセッターの指導をして下さる方から教わっている事ですが、視野を広げ、瞬時に相手の動きを見て、頭を使って、自分が動き、味方を動かすということは本当に奥が深いものだということです。しかし、治療家であることも忘れずに、指の怪我には気をつけ、日頃の治療でもバレーでの経験を生かして行けたらいいなと思う今日この頃です
                            (伊藤)     
最新のたよりへ ページトップ
HOME高麗手指鍼とは役員紹介器具紹介入会案内ガイアそうこだより
Copyright (c) Nihon Kourai Syushi-shin Gakkai All Rights Reserved.