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会員様宛に発送しているお便りです。

地球創庫だよりNo.21

地球創庫のこの一年を振り返って

 今年もあと十日を残すのみとなりました。この一年、いろいろなことが皆様の周りに起こったことと思います。地球創庫も、高麗手指鍼の勉強会、隔月に行っている山下先生を囲む会、他に6回にわたる経絡指圧入門講座を開催させて頂きました。7月13日には、今話題の「生きがいの創造」の著者、飯田史彦先生を講師としてお迎えし、250名の仲間と一緒にお話を伺いました。
 地球創庫はふらふらしながらも、なんとか2年目の年の瀬を迎えることができ、会員の皆様には温かいご支援を心より感謝申し上げます。
 先日のキヨ・ササキ・モンロウさんの講演でもお話がございましたように、この1年、皆様私達の周りに起こったことは、良いことにしろ悪いことにしろ、必要必然のことだったのではないでしょうか。その人の取り様によっては、同じ事が起こってもそれが良いことであったり、悪いことであったり、変化していくことだと思います。
 刻々と変わっていくこの大きな地球という環境のなかで、私達は来年も頑張っていきたいと思っています。温かいご支援とご理解を宜しくお願い申しあげます。
 では月並みですが、良いお年をお迎え下さい。尚、来年1月3日には、2回目の新年会を予定しております。是非、お越しください。
(服部)
 ご意見番コーナー
12月に入って5件の訃報、2件の葬儀に出席しました。葬儀は2件とも突然の事でしたので、本当に驚き、「いのち」についても深く考えさせられました。
 輪廻転生とか魂の生まれ変わりといった考え方が、少しずつ受け入れられ始めてはいますが、やはり“死”とは“(今現在の)生”の終わりには違いありません。
 それはいつ、どこで迎えるのか、私達にはわかりません。だからこそ、自分の「いのち」に正直に、いつこの人生が終わっても悔いのない様に生きていくことが大切なのだと思いました。(それは、本当に難しい事ではあるのですが・・・)
 そして「“生きている”ということは、あらゆる可能性を秘めている」というある作家の言葉もふと思い出しました。生きているだけでも、本当にすごいことなんだなと思わずにはいられない毎日を送っている私です。
 今月は、奥様が第三子をご出産されたばかりの方から、FAXを頂きました。長編なので、特別枠を設けまして、ご紹介いたします。


3人目出産騒動記〜いのちを見つめて〜

 「子供のウンチを食べた。」と言えば、何を突然、と思われるでしょう。気持ち悪いことを言うなと怒り出すかも知れません。
 実は、今月の9月の終わりに我が家に3番目の子供が生まれたときの事です。「子供のウンチを食べた」のです。
 以前、友人から面白い助産院の話しを聞いて自分達もそこでの出産を体験したいと思っていましたが、夫婦の考えの違いなどから、結局、近所の“常識的な”産婦人科を選択しました。
 その助産院というのは、出産を自然なものとしてとらえていて、普通の家屋で普通の出産を体験することができます。男も子供も関係なく、家族はあたりまえのように手伝うことになり、皆で子供を迎えるという気持ちになるようです。そして何と!後産つまり胎盤を食べてみなさいと勧めてくれるのです。
 私はこの話をきいてから、胎盤を食べてみたくなったのです。しかし普通の産婦人科ではそんなことはできません。出産には立ち合ったのですが、妻と一緒にいてやりたいという気持より、なんとかして胎盤を手に入れ、少しでも食べることが出来ないかという不遜な思いでいっぱいでした。 
 ついに子供が出てきました。姿を確認すると少しホッとして、後は後産を待つばかりです。後産も妻の苦しそうな顔とは反対に、簡単にスルッと出てきました。そうすると私の関心は胎盤のほうに全て向いてしまい、看護婦さんがトレイにそれを置くのを見て、「さわってもいいですか。」と聞いてしまいました。案の定、変な顔をされましたが構わず、さわったり、匂いをかいだりしました。そうなると後はもう食べてみたい気持が強くなってきましたが、まさか食べてもいいかなんて聞けるはずがありません。で、思い切って「これもらってもいいですか。」と言ってみました。すると、分娩室にいた医師と看護婦三人が一斉に私をみて、軽蔑の視線を送ってきました。「どうするの!」と一人の看護婦。私は思わず「別の医療機関で少し調べたいことがあるのですが。」といってみました。しかし看護婦さん同士で顔を見合わせ、「でもねー。」とこまった表情をみせていましたので、私もあきらめ「やっぱりいいです。」と言い自分の気持ちを納得させることにしました。
 分娩室をでて、妻と子供を待つことにしました。先に妻が安静にできる部屋に来て、30分くらい後に子供が白い木綿の産着にくるまれて看護婦さんに抱っこされて来ました。
 しかし、その対面も30分くらいで、すぐ保育室の方に連れていかれたので私は何もする事が無くなってしまいました。1時間くらいしてから、保育室の方に行きました。そこではガラス越しに子供の姿を見せてくれるのですが、看護婦さんがいつもその部屋にいる訳ではないので、ガラスの向こう側の子供が泣いたりしても何もしてやれないのです。
 とてもやり切れない気持ちいなって来たので、ナースセンターへ行って子供を抱かせて欲しいと頼んでみました。すると「いいですヨ」と簡単な返事が返って来たのです。少し拍子抜けしてしまいましたが、ついでにこれもダメだと思っていた妻のところで寝かせてやりたいと言ったら、長い時間でなかったらOKとのこと。(胎盤のこともちゃんと説明すれば分かってくれたかも。)
 子供を部屋に連れていくと妻はビックリして、そしてとても嬉しそうに笑っていました。しばらく横になっているとブーという音がしたのでおしめをはずしてみると、緑色のウンチがニュルニュルと出て来ていました。昔のチューブにはいったチョコのようなゲル状で匂いもないのです。指でさわってみました。弾力が少しあり、心地よい感じです。全然気持悪いなんて思えません。確かにウンチなのでしょうけど、私には「ウンチ」には見えないのです。指についたウンチをペロッとなめてみました。少し青くさい感じはありましたがほとんど味はありません。
 ついさっきまで母親の羊水を飲んでいて、それがこういう形で外に出てくるのが不思議な気持ちがしました。妻にも冗談でたべるかと聞くとウンとうなずいて少しなめてしまいました。変わった夫婦なんだろうと思うと笑えてしまいました。
 このあたりの話を何人かにしましたが、「分かる人」には分かってもらえる様です。胎盤なんて汚いという人が多いのですが、(当たり前でしょうけど)動物の多くは胎盤が汚いなどと思ってはいないはず。胎盤を食べることで出産を完了しています。そしてそのことで子豚の死亡率も減少しているのです。O−リングテストでの結果も、βエンドルフィンの反応が子供のウンチからみられました。私達夫婦には汚いものではなく何か有り難い物になり、今はタンスの奥にしまってあります。子供のウンチを通し、命を考えることが出来た様な気がしますが、私達夫婦にそのことを学ぶ、もう一つの大きな“事件”がありました。
 妊娠も、すでに8ヶ月ぐらいの時、妻が妊娠中毒症に患りました。足のむくみがなかなか引かないので、産婦人科でそう病名を告げられ薬をいただきました。私と妻はホリスティック医学について、命や体について話をして来ていましたから、薬は今回は必要ないものと考えました。しかし妻は薬でむくみをとることが胎児を助けることだと考えたのです。大事な時期に、体についてあれこれ言うことが返ってよくないと思い、私は気持をおさえようと思いました。時々、二人で薬のことについて考えてみたりするのですが、症状の改善がみられません。どうしても二人ともイライラしてしまって、それが、妻の体に悪影響を与えてしまうということになってしまっていた様です。妻は鍼や灸が嫌いな訳ではありませんが、押しつけてしまうとギクシャクしてしまうので、仕方なく仕事を一日空け、樋田先生の所へ行くことにしました。
 樋田先生の前に座り、一通りの問診や鍼が終わると、先生は妻に「どうして体の調子が悪くなるのか。妊婦の体の状態が悪いはずがないんだよ。」と言われました。そして、「気をもんだり、心配することが原因だろう。何かあったのか。」と少しきつい口調になりました。そして妻は、助産院での出産を迷っていることを話し始めたのです。前述しましたが、助産院と近所の産婦人科とどちらで産むかについてよく口論していました。命の有り難みを考えると助産院でしたいという私と、近所の普通の産婦人科を選びたいという妻と意見のズレがありました。妊娠が分かってから幾度となく話し合ってきて、助産院での出産は大体決めようと思っていました。その辺を樋田先生に聞いていただいたのですが、先生の答えは、「こういう大事な時期に、夫婦で意見が違うというのが一番いけない。出産するのに自分の心が冒険的なことをするのはよくない。」ということでした。私としては、私の考えに少しだけでもいいから賛成して欲しかったなと、残念な気持ちもありましたが、自分自身に迷いがあったのも事実でした。先生の言葉で二人共に、産婦人科を選ぶことに帰りの車の中で決めました。妻も、先生に話を聞いていただいたこと、そして、選択肢を一つに決めたことで、気持ちが落ち着いたと思います。
 からだの不思議さを実感したのはその後です。樋田先生の受診の二日目から足のむくみが消えてしまったのです。「〜しなさい。」「こちらのほうがよい」という思いが強すぎる時、うまくいかない事が多いようです。知識が多くなると勉強したような気がしますが、失敗することで学ぶことがあるということを学んだ気がします。
 子供が生まれ、育つ、ということは、三人目にしてようやく、本当に不思議で、楽しいことなんだなと実感しています。子供は「贈り物」を持って来てくれるのだということ、そして、その贈り物は夫婦の「たからもの」だということをしみじみ思っています。
 おとぎレーベルからでているCD「おくりもの」の中に♪君が来てからボクらは変わった♪という一説がありますが、子供は親の先生として来てくれたのかも知れないと、最近は力強く(!?)思っています。次はどんなことを子供に教えてもらえるのか楽しみです。
                              伊 藤      

地球創庫だよりNo.22

新しい年を迎えて

 1997年も既に半月が過ぎてしまいましたが、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。ご挨拶が遅くなりましたが、本年も、何卒宜しくお願い申し上げます。
 地球創庫ではこの時期に、1年のおおよそのスケジュールを考えるのですが、今年もまた、試行錯誤の1年になりそうです。
 「地球創庫とは一体なんなのですか?」という質問は、最近こそは少なくなってきたのですが、今年は地球創庫らしさを少しずつ強調していきたいとも思っています。講習会も、皆様からのご要望にお答えするのはもちろんですが、私達のやってみたいことも、少しずつ始めてみようと考えています。
 19日の樋田和彦先生講演会で、樋田先生より「ここは“癒しのかくれんぼ”というような場所」というお言葉をいただき、スタッフ一同とても嬉しく思いました。この「癒し」という言葉が、やはりひとつのキーワードの様に思います。
 しかし専門的な講習会を重点的に開催するということではなく、一般の方にも今まで以上に、広く扉を開いていく予定です。
 そのためには、やはり皆様からの声をお聞きすることが必要です。年会費を有効に使って頂くためにも、どしどしご希望をお寄せ下さい。
 地球創庫開設以来、中部地区でも同じ様な目的を持つ「場」がたくさん創られ始めました。それは私達にはとても心強く、嬉しくもありました。このつながりを大切にし、必要とされる限り、地球創庫を続けていきたいと思っています。
 重ねてのご挨拶になりますが、これからも宜しくお願い申し上げます。
(伊藤)

 ご意見番コーナー
お正月休みの間、チームメイト3人とその子供たちとで一緒に遊ぶ機会がありました。(いつも遊んでもらっているのですが・・・・)その日、出かけたボーリング場に、プリクラ(プリント倶楽部)があり、皆がワイワイやっているのをみていました。プリクラは今、絶大な人気があり、見ているだけで面白かったのですが、父に言わせると「最強の商売敵」だそうです。父は、写真関係の仕事をしていますので、本格的なシールプリントも取り扱っているのですが、プリクラの足元にも及ばないそうです。確かに300円で好きなフレームが選べ、気にいらない写真のキャンセルもでき、シール16枚分の写真が手に入るのは、大きな魅力です。ただ、私が思ったのは、世の中こんなに便利になってしまっていていいのだろうかということと、16枚もどうやって使うのだろうかということです。ちなみに、私のキーホルダーには、自分が写ってないプリクラシールが4種類貼ってあります。でも結構見ていても飽きないところが、人間の不思議なところです。
 地球創庫のスタッフで、プリクラをやってみたいと言っている人が1人います。それが誰かは言えませんが、どなたか付き合ってあげて下さい。
                              伊 藤      

地球創庫だよりNo.23

骨髄移植について

 先日、骨髄移植勉強会に出席しました。移植の実際記録30分、骨髄バンク宣伝15分のビデオをみせてもらい、講師が都合で欠席のため、勉強会の発起人(3人)が「まだよく知りませんが」と断りながら、骨髄移植によって80〜90%の人が治ってしまうと説明がありました。そして、白血病の息子を持った父親が「どうか助けて欲しい」と涙ながらにドナーに登録するようお願いがありました。すでに骨髄バンクに登録している市議から、勉強会を重ねてから“○○君を救う会”の様な組織を作りたいと希望が述べられて散会しました。第2回勉強会は講師を招いて2月25日に行うと通知がありました。
 さて、僕は勉強会の間じゅうズーッといたたまれない思いでした。肝心な知りたいことは説明がなく、疑問がふくらむばかりでした。@ビデオの説明では半数の人(50%)が助かると言っていたが、実際に治ってしまうのはどれくらいか。A患者が移植を受ける前に、1ヶ月かけて、、大量の抗癌剤と致死量に近い放射線を浴びて自分の血液を殺してしまう時に、死亡するのはどれくらいの人か。B移植を受けたが、無菌室からでることなく死んでいく人はどれくらいか。C無菌室を出てから、本当に元気になって社会復帰できる人はどれくらいか。D移植後、3年5年と生き続けている人の数。E近藤誠氏の本の中に「骨髄移植で治るのは2割で治療が原因で2割が死亡するのが実際」とあるのは本当か。等々。
 情報をキッチリ公開しないで「良い事」だと決め付け、ドナーになるのが思いやり、優しさである様に洗脳するのはいかがなものかと思います。
 僕は7年前に千島節を知り、学び始めてから骨髄移植には疑問を持ち続けています。いのちを無視した強烈な、超暴力的な治療で、少人数ながらも治ってしまう人がいることがとても不思議です。「いのち」ってスゴイと思います。
(中山)
 ご意見番コーナー
今月は「現代のエスプリ355」(至文堂:定価1,200円)に掲載されました 山下 剛先生の文章をご紹介致します。長文ですので後半部分のみの抜粋ですが、わかりやすく、とても奥の深いお話です。内容は地球創庫で隔月開催しています「山下先生を囲む会」でお話して下さることと共通することころがほとんどですが、全文をご希望の方は、コピーをお分け致しますので、ご連絡下さい。
 「教育的医療−生命のダイナミクスを高める」と題されましたこの文章は、前半は“根源的イノチ” “凝縮、拡散とは” “時間をどう考えるか” “現象と潜象”というサブタイトルがついた内容となっています。後半の“治りたかったら” “死ぬことも大切” “治さない医者”という部分を皆様にお読み頂く訳ですが、参考文献は、次のとおりです。では、山下先生の世界を存分に味わって下さい。

 *「古事記」 *「日本書紀」 *「風土記」
 *福岡正信著 自然農法 わら一本の革命 春秋社 1983
 *鯖田豊之著 肉食の思想 中央公論社 1966
 *アンドルー・ワイル著(上野 圭一訳) 人はなぜ治るのか 日本教文社 1983
 *フリチョフ・カプラ著(吉福伸逸他訳) ターニングポイント 工作舎 1984
 *フリチョフ・カプラ著(吉福伸逸他訳) 非常の知 工作舎 1988
 *アーサー・ケストラー著(田中光彦他訳) ホロン革命 工作舎 1983
 *J・H・ファーヴル著(山田吉彦訳) ファーブル昆虫記 岩波書店 1942
 *吉福伸逸著 トランスパーソナルとは何か 春秋社 1987
 *スタニスラフ・グロフ著(吉福伸逸他訳) 脳を超えて 春秋社 1988
 *村木弘昌著 釈尊の呼吸法 柏樹社 1979
 *フリチョフ・カプラ著(吉福伸逸他訳) タオ自然学 工作舎 1989
 *チョギャム・トウルンパ著 タントラ/狂気の知恵 めまくまーる社
 *リチャード・バック著(五木寛之訳)かもめのジョナサン 新潮社 1974

治りたかったら

 病になって、治りたいと心から希望したら、今病になっているのは次に治っていくためのステップだと信じて、養生の生活を送ることです。養生とはたとえ病になっても、今を生き生きと生きるのです。結果のみを期待してはいけません。結果とは自ずから生じてくるものです。現象と潜象逆転していることを利用すれば、もし病を患って治りたかったら、もう治ったと決めて元気に生活を楽しむことに専念する事です。その治ってしまったとする意識を支えるために、自然の摂理にあった養生をすることで、更に効果をたかめるでしょう。
 私自身のことですが、かつてエジプトに旅したとき、落石のため頭に大きなコブができました。そのとき私がしたことは、三日後日本に帰ることになっていたので、日本に帰って最初にしたい楽しいことを想像しただけです。楽しいことは無理なく想像し続ける事が可能です。すると私の身体は楽しいことを一杯できる元気な三日後の私へと変わっていったのです。コブは殆どなくなってしまいました。たった二時間のことでした。
 また、ある癌患者さんは「私だけ何故こんなに不幸なんでしょう。家族も、職場でも、友人たちも誰も私を理解してくれようとしない。そのうえ癌にまでなってしまった。」と嘆くのです。「なにか楽しいことはないの?」と尋ねると「そんなもの、これっぽっちもありません。」「じゃあ、生きている意味が無い訳だ。癌になってよかったね。辛いだけのこの世から間もなくおさらばできるじゃないか。めでたいことだ。そんな貴方を治療して命をのばすような不親切なことはしたくありません。早々にお帰りになって、苦しい、辛いこの世と別れる日を楽しみにお待ち下さい。」と患者さんを追い帰したのです。余程ショックだったのでしょう。家に帰られてから、しばらくは考え込まれたようでした。十日ほどして、又やって来られました。
 「先生、死なんならんと考えたら、何故か人が恋しくて、そうしたら家族も、職場の人たちも、友人たちも、皆私のことを心に掛けていてくれるのがわかりました。治りたいと思います。」そこで養生の仕方を詳しくお話しし、少しばかりの漢方薬を差し上げて「今感じている有り難さを忘れないように生活して下さいよ。」と帰しました。三ヶ月後、検査を受けたところ、癌が退縮傾向をみせはじめた、と報告が入りました。
 根本的イノチは生命であり意識なのです。それだから、肉体の側から治療しても、心の側から治療しても、それなりの効果はあげることはできます。しかし、人生のプロセスとして存在する病を治すとき、病をおこしてくるプロセスから、病を起こさないプロセスに交換しなくては、本当の癒しは望むべくもありません。
 大体医者は「治したい病」にかかっています。医者である以上、患者さんの病は治さなくてはならない、強迫観念に捉われています。また患者さんも、病は辛いし、そこから逃れたいし、医者の強迫観念が伝染ってしまって、何処かに病を治す方法論を持った医者が必ずいるに違いないと、チルチル、ミチルがしたように、あちらこちらをさ迷い歩くのが賢い患者だと思い込んでしまっている。あるいは、成人病年代の人たちの間では、どちらがより重い病気になったのかを自慢し合っている、と聞ける会話が飛び交っている。人生の本当の楽しさを知らないのか。病も娯楽になってしまったのか。

死ぬことも大切

これら医学にどのような大発展が起こるか知る由もないが、たとえ医学がどれほど進歩してみても、どれほど養生専一の生活を送ってみても、人間の死亡率は100パーセントです。これだけは絶対です。事実です。真理です。では私たち医者に何ができるのでしょう。先ず、患者さんに今迄述べてきたようなことを理解していただける場作りをすることが第一です。そして一旦死を受け容れて貰うのです。太陽が東から昇って、必ず西に沈むように、生まれてきたら必ず死を迎える。その当たり前のことを当たり前として認めていただく。生と死の間に人生がある。その人生を意味あるものにする。そのためには死という区切りが存在する必要があるのです。死とは決して悪いものではない。
 これも私事ですが、生活の中に変化が起こって思案を迫られたとき、私には行く場所があるのです。そこには亡くなった父、多度大社の優しかった宮司、私の最高の師であった正食協会の会長、三人が揃っていて下さり、、穏やかな顔もとで私を迎えて下さるのです。そこで私は癒されて帰ってくるのです。迷いを放り出すことができるのです。生きていることも幸せ、死ぬことも幸せ、死んだ後家族や後輩が会いに来てくれたら、素晴らしく幸せだと感じます。死をおそれ、生きざまも変えることなく、病だけを治したいでは、自然の摂理から外れています。そもそも病は人が自然をそのまま受け容れないでは、自身も自然の一部であることを忘れたままでは、病から癒されないでしょう。死のあることを当然として受けとめ、今授かっている生を楽しみ、喜ぶことができる人へと変わってゆける場作りをする。そのうえで、私たちが思っている以上のものである生命力、自然治癒力の働きを援助するような治療も成立するのです。
 私達は都合の良いこと、悪いことも全部含めた矛盾の中の存在である。そのことが納得できたとき、患者さんの顔には透明感が出てきます。それを昔から「面白い」と云うのです。「面白い」顔になったら、治るものは治って、亡くなられる方は家族にも感謝して、きれいに亡くなってゆかれるのです。家族の方も、ああいい死に様だった、と喜ばれるのです。下手な小細工をしなければ、人間皆癒されるのです。
 人に与えられた大きな脳は、神や仏や真理を認識するためのもので、自身の欲望のためだけに使うものではありません。人以外の動物たちは、宇宙意識の働きのままに、産まれて、生きて、死んでゆきます。本能のままと人間は卑下しますが、それならば動物は人間を欲得計算ばかりするミュータントと呼ぶことでしょう。私たちは自然の一員として素直に生きて、生を楽しんでいると心身共にゆったりとしてくるのです。

治さない医者

患者と医者は互いに癒し合いのパートナーだと考えている私の所でも、癌からも治ってゆかれる患者さんがふえました。喜んで亡くなってゆかれる方も増えてきました。
 大自然の想いと、人の想いが共振し合った中に医療の本質があるのです。数多く存在する医療手段は、この人としての想いを通じさせるためのものといえましょう。現在はそのように感じています。決して万人向きであるとは思えませんが、それでも私は「治さない医者」を私の医者の道として進んでゆきたいと念っています。

          私の起源(カミ)を信じて
          私の身と心をいつわらず
          なるべく精一杯に
          なるべく怒らぬこと
          なるべく将来(サキ)のことを心配せずに
          なるべく成り行きにまかせて
          なるべく呑気に
          なるべく陽気に
          なるべく喜び 楽しみ
          なるべくにっこり笑うこと
                              伊 藤      

地球創庫だよりNo.24

骨髄移植について  その2

 先回に続いて、骨髄移植について少し考えてみます。
 その後の勉強会とも合わせて骨髄移植のビデオを2回見せてもらいましたが、「移植」は命がけの闘いで、その凄ましさは注視に耐えない程に感じました。
 通常の20倍の抗癌剤の集中投与と、致死量を超える放射線照射で、粘膜障害(消化管、口唇)、脱毛だけでなく、何も食べられなくなり肉体的苦痛も伴います。
 一体これは治療しているのか、それとも痛めつけているのか、全く分かりませんでした。まるで身体をいじめにいじめ抜いて、本人の体力、生きる意欲、自然治癒力をふるいにかけているのかと思いました。
 そして講師の話によって、一組分のドナーの骨髄提供と患者への骨髄移植費用は数千万と知り、ビックリしました。
 ホリスティック医療を考えている私には、骨髄移植そのものが白血病のとらえ方(骨髄細胞の癌化、白血球の異様増殖)自体に対し、病変、部分にこだわる余り、「いのち」の持つ力、自然治癒力への配慮を欠き、本当の原因を見失っている様に思えてなりませんでした。
 また、良いことばかりを取り上げ、骨髄提供者を募る今の社会の在り方にも、とても疑問を覚えます。
 僕は過激派でもなく、地味な普通の一般市民ですが、真実に対しては常に謙虚に、そして真実を求めていきたいと思っています。
 皆さんはどうお考えですか。ぜひご意見をお聞かせください。
(中山)
 ご意見番コーナー
今月は、先日雑誌に掲載されました樋田先生の記事をご紹介致します。題名は「私の漢方活用法」となっていますが、樋田先生のお考えがよくわかって頂けるのではないかと思います。(樋田先生は、記事の内容以上に奥の深いお方ですが)ぜひ、じっくりとご覧下さい。

《私の漢方活用法》

西洋薬・漢方・鍼灸を使い全身治療を行う 
         愛知県 ヒダ耳鼻咽喉科 樋田 和彦院長

細分化された西洋医学のもとで、部分治療のみで終わりがちな耳鼻科治療に、身体全体をひとつとしてみる全身的治療を行う樋田和彦院長。開業以来、治療とは何かを模索し続け西洋医学的な枠を離れ、さまざまな治療法に接するうちに、病とは全身病との結論を得た樋田院長は、以来、O−リングテストを駆使し、鍼灸・漢方薬・西洋薬などを組み合わせ、全身のバランスを整える治療方法を行っている

−東洋医学に興味をもたれたきっかけなどからお聞かせいただけますか。

 72年に開業した当初、私は耳鼻科という専門領域で患部のみの治療をしていました。しかし、ある時不思議なことに気づいたのです。たとえば右の耳に以上がある場合、両側の腕や足にも圧痛などの反応が出るのです。実際、患部から離れたところに鍼や指圧などの処置を施すと患部に影響を与えることもわかりました。今思えば「経絡」というものなのですが、それ以来私は、患部だけが病気しているということはない、どんな部分の病気も全体病なのだ、と確信をもつようになりました。
 西洋医学的な治療はどうしても患部にのみ対応した、部分的、専門的治療になりやすいのですが、やはり身体は一つとしてみなければいけないと思うようになり、鍼灸、ヨガ、漢方薬などといった東洋医学を治療に取り入れていくようになったのです。
 西洋医学的な治療のほかに、当初は耳鍼法(耳を全体に見立て、耳のツボに鍼を打つ)や、高麗手指鍼療法(手を全身に見立てて手だけに治療する)など、鍼灸を中心にやっていましたが、そうこうするうちに漢方も取り入れるようになりました。漢方薬は古くから研究されてきたものだけに、証があえばまさにとことん効きますし、副作用が少ない点も魅力です。しかし、いくら漢方薬でも西洋医学的に、効能書きの症状だけをみて処分してはその効果は発揮できません。患者さんの体質によって効き方が全然違うからです。たとえば、同じ頭痛でもAさんにはこの薬、Bさんにはこれと、その人に合った薬が違ってくる。ですから、その人の体に合った薬をみつけてあげることが大切になってくるのです。
 私は漢方薬の深い勉強ができていないので、証をつかむのがなかなか難しいと思っていましたが、その時、出会ったのがバイ・ディジタルO−リングテストなのです。
 O−リングテストは、被検者の片手の親指を向かい合ったもう一つの指でOの形のリングを作り、それを利用して実施するというきわめてシンプルなもので、最初は私も半信半疑でした。しかし、セミナーに参加するうちに、O−リングテストの診断結果が医学的な診断結果と驚くほど一致することと、診断方法の簡便さなどの利点が理解できるようになり、日常の治療に取り入れていくようになりました。
 最近話題の脳内麻薬物質β−エンドルフィンのサンプルを使ってO−リングテストをすると、その人の体にちょうどあった薬にだけエンドルフィンプラスのサインを出すことがわかりました。その場合、患部だけでなく全身に副作用をもたらさずに、体の快適な状態を引き出すことになり、実際に投与してみると、よく効くのです。
 そういうことで、うちでは、その患者さんにあわせて、鍼灸と漢方薬、鍼灸だけ、漢方薬だけ、漢方薬と西洋薬の組み合わせなどいろいろなケーズで処方しています。なかには西洋薬だけのこともありますが、この場合も患部だけに有効、という使い方はしません。あくまでも体全体に副作用がなくて体にちょうどあった薬を選ぶ、その結果が西洋薬だということ。つまり西洋薬も漢方薬のように使っているということです。いずれにしても、大切なのは体が治ろうとする力を引き出すこと、自然治癒力を高めることなのです。

−治療法についてできるだけ患者さんと話し合う時間をもたれるそうですね。

 治療法についてもそうですが、その前にやはり話を聞いてあげるということが治療には大切ではないでしょうか。「病は気から」とよくいいますが、まさにそれです。特に現代はストレス社会といわれています。人間関係を含めたさまざまなストレスが多くの人を蝕んでいる。ストレス状態の人はどうしてもいろいろな病気にもかかりやすいですから、心と体の両面から、全身病として捉えていくことが必要なのではないでしょうか。
 カウンセリングというのは、精神・神経内科といった特殊な専門領域に属するのもではありません。あらゆる患者さんが、「病は気から」の気の問題をもっているのです。しかし、西洋医学ではこの部分があまりにも風化してしまったというか・・・。
 ですから、私は一人の医師として、やはり心身ともに負担を軽くし、ライフスタイルの改善を考慮して、カウンセリングと薬の面、それに症例によって鍼灸も組み合わせて、患者さんの希望とこちらの考えをあわせながら治療していきたいと思います。

−これまでで特に印象に残る症例というものはありますか。

 52歳の女性の方ですが、上200の下130という、高血圧症で10年以上内科治療を続けてこられた方が、耳の異常で来院されました。診ると全身に異常がありました。特に首から肩にかけてぱんぱんに張っている。O−リングで調べてみると葛根湯が効くと出たので、「今飲んでいる薬を一時お休みして、これを飲んでください」と葛根湯を一週間分処方しました。一週間後、その方が病院に来て、「先生、あの薬はどういう薬ですか?」という。なぜですか、と聞くと血圧がいっぺんに130、70まで下がったというのです。それで気分もまったくよくなって首から肩への異常感もすっかり取れたというのです。その都度検査して、葛根湯が有効と出ましたので結局1ヶ月間飲んでもらいましたが、膝の運動障害も取れ、便秘も治ったということです。それはまさにその人の体全体に、葛根湯が有効だったわけです。体というのはあらゆる方向に神経や血管が行き来していますから、全体として効かなければならない。その人のちょうどほしかったものが与えられたから効いたということです。証があえば漢方はこのような効き方をするのが利点なのです。
 網皮取りの方は、56歳の男性でアレルギー性鼻炎で来演されたのですが、蓄膿症(慢性副鼻腔炎)で高校時代から匂いがわからなかったといいます。それで診断の結果、荊芥連翹湯を2ヶ月近く服用してもらったところ、40年ぶりで匂いがわかったというのです。「人生観が変わりました」と大変喜ばれました。われわれ耳鼻科の領域で匂いというのは大変難しい問題で、回復した例は希ですが、この方は劇的に回復した例です。
 O−リングテストや陰陽脈診、カウンセリングなどで、患者さん一人ひとりの治療方針を判断する私のやり方はもちろん時間はかかりますが、できるだけ丹念に調べるようにしています。なぜかといえば、きちんと症状を聞いて、体に合う薬を診断することで、その方が安心する。「来てよかった」と思う。そのことが体全体に反応するからです。「生かし合い」というか、そういう「場」が治療効果をさらに上げるからです。
                              伊 藤      

地球創庫だよりNo.25

3年目を迎えて

 桜の花が満開なるのを待っていたかのように長雨となり、お花見がゆっくりできなかった方もたくさんいらっしゃったことでしょう。しかし、何はともあれ新しい季節(年度)が始まりました。
 卒業して、全く新しい世界に飛び込んで行かれた方、新たにご入学された方、いつもと同じように新年度を迎えられた方、皆様それぞれの春をお過ごしの事と思います。
 地球創庫もとうとう(?)3年目を迎えました。手探りの状態からようやく離れ、現在は充実期といったところでしょうか。テンポよく、とは必ずしも言えませんが、それなりに充実した毎日が続いています。
 ところで、この3年の間に私の周りでは、結婚した人、出産した人、外国留学を始めた人、開業した人、再度学生になった人等、それぞれの夢にむかって歩き始めた人達がたくさんいました。
 いざ自分自身を振り返ってみますと、安定した職場を離れ、新しいことを始め、いろいろなことを経験してきましたが、ただ流れにのって順調に(?)、ぼや〜んとここまできてしまった感もあります。やりがいもあり楽しい毎日で、そういう生活もとても好きなのですが、そろそろ重い腰をあげて、自分一人で、個人的にやりたい事に取り組んでみようかなとも考えています。
 まだまだ計画の段階ですが、なんとなく楽しみな毎日です。
 皆様は、この春を如何お過ごしでしょうか。ゴールデンウィークも間近に控え、楽しみもふくらむ毎日と思いますが、お身体をくれぐれも大切に、元気いっぱいお過ごし下さい。
(伊藤)
 ご意見番コーナー
地球創庫だよりに書きましたやりたい事とは違いますが、この度、パソコンによるインターネット及び電子メールの操作を、ようやく覚えることができました。とは言いましても、ここまでの道程は長く、体育会系の私には本当のところまだよくわかっておりません。もともとは、服部先生の会社のパソコンなのですが、ほとんど私物化しております。(私物化できるほど使いこなせませんが・・・)
 操作を覚えるまでには、いろいろな方に、本当に丁寧にご指導を頂き、ただただ深く、感謝するばかりです。
 慣れるまでは、様々な失敗を繰り返すと思いますが、(既に幾つかの失敗が・・・)それを恐れず、いつの日か完全に私物化したいと思っています。
 パソコンをお持ちで、電子メールを送れる方(で、失敗も笑って許して下さる方)はどうぞご意見等をなんなりとお寄せ下さい。

*ゴールデンウィークの間は暦通りですが、5月6日(火)、7日(水)は勝手乍らお休みさせて頂きます。
  ご迷惑をお掛け致しますが、何卒、宜しくお願い申し上げます。8日(木)からは、平常通り活動致します。
                              伊 藤      

地球創庫だよりNo.26

慶州を旅して

 新緑もまぶしい5月も下旬となりましたが、会員の皆様には如何お過ごしでしょうか?
 私事ですが、G・W後半の5日から韓国の慶州を旅行してきました。韓国は過去に何回も行きましたが、ソウルばかりで、連想するものと言えば、雑踏、ニンニクの臭い、キムチ等であまり自然の印象はありませんでした。
 名古屋から飛行機で1時間20分の釜山空港へ降り、バスで1時間の慶州はそんなイメージとは全く別の世界でした。日本の信州の新緑と見違える程の山々、のんびりとした田園風景などは、今までの韓国の印象を大きく変えるものばかりでした。
 ガイドさんの説明によると、50年前はほとんど岩山で、木は一本もなかったそうです。それが毎年、国民ひとり一本の木を植えるという少しずつの努力で現在の緑の山になったと聞き、より感慨深い思いがしました。
 そして、こんなに近くの国ことを、何回も訪れておきながら、余りにも何も知らない自分に驚きました。
 これは人間関係にもいえることではないでしょうか。会員の皆様も一度、身近な人を見つめなおしてみては如何ですか。ちなみに私は、反省しきりの毎日です。
(服部)
 ご意見番コーナー
先月のこのコーナーで、電子メールを開始したことをご報告致しましたが、その後、多忙続き(?)でパソコンの前に座れず、すっかりごぶさたしてしまいました。そして半月ぶりに操作してみると、なんと!アクセスできないのです。なぜ?となやみつつ、私にとっては、やはり必要ないものかと諦めつつ、それでは私にとって必要なものは何か、あらためて考えさせられている毎日です。
                              伊 藤      

地球創庫だよりNo.27

夏の前に

 先日、久しぶりに地球創庫へ顔を出しました。なんとなくホッとするのは、私が疲れているからでしょうか。(雰囲気が良いからというスタッフもいますが・・・)
 ゴルフの仕事に追われつつ、治療家としても地味な活動をしていた私でしたが、8月より、治療にも少し力を入れていく運びとなりました。
 そこで基本にもどり、高麗手指鍼をもう一度きちんと勉強しようと思うのです。当時クラスメートだった中山さん、伊藤さんに誘われたのがきっかけでしたが、まさかここまで一緒に勉強を続けることになるとは、思ってもいませんでした。
 人との出会いは本当に不思議です。
 ゴルフの仕事でもご縁があり、8月より、治療のお手伝いをすることになりました。いつもはゴルフのレッスンスクールで「ゴルフと健康」について、講義をしていますが、実際に治療をするのは久しぶりで、緊張感もあり、楽しみです。
 この夏は、私を含め3人のスタッフが、新しく、それぞれの方法で、治療に携わります。
 熱い夏になりそうです。
 (宇佐美)
 ご意見番コーナー
6月7日、4ヶ月ぶりに「山下先生を囲む会」が行われました。実は5月10日、山下先生は倒れられ、今月は中止にしようかとも思いましたが、先生ご自身から「この感動をぜひ、皆さんにお伝えしたい」とお返事を頂き、当日は奥様とご一緒にお越し下さいました。
 先生は、今でも鍼灸治療を続けていらっしゃるそうですが、倒れられたときも「救急車を呼ぼうか?」という家族の問いかけに対しては、最後まで返事をせず、もうろうとしながらも、先生の弟分の鍼灸師を呼ぶようにと指示されたそうです。
 「僕は西洋医者でありながら、自分が死ぬかも知れないときに、最後まで西洋医学を信じなかった!」と笑って話される先生のお姿が、とても印象的でした。
 また、患者の立場を実感できたこと、鍼灸の効果に驚いたこと、死への恐怖感が全くなかったこと(“しょーがないかなー”という感じだったそうです)等、いろいろとお話をして頂き、最後に「自分の命を預けられる、この人になら殺されても仕方がないと思えるような、心を委ねられる医師や治療かを見つけること、また、医師や治療かはそういう存在になることが大切ではないでしょうか。」と語られました。
 「山下先生を囲む会」は次回8月2日の予定です。皆さんのご参加を心よりお待ち申し上げます。
(伊藤)

*今月は【地球創庫だより番外編】も作成しました。是非、ご覧下さい。そして、じっくり考えて頂きたいと思います。ご意見・ご感想もお待ちしております。



2005年万博開催国が決定して

 職場を離れ、地球創庫でのびのびと仕事をしていた私に取って、久しぶりに腹立たしさにも似た、不快な感情がわき上がりました。2005年の万博博覧会が愛知県に決定したことです。決定日の6月13日は、深夜までテレビを見て、決定後は、布団に入ればバタンキューの私が、なかなか寝付けませんでした。
 賛成、反対それぞれの立場があることはわかりますが、私は個人的に過激派でもなく、表面上反対派でもなく、純粋な反対者としての立場を敢えて公表し、皆さんにもぜひ考えて頂きたいと思い、ワープロに向かいました。

 私は愛知県東郷町に両親と共に住んでいます。毎(?)朝、母と約1時間近く歩く時、土筆を摘み、わらびを取り、グミや桑の実を食べながら、竹やぶにでる竹の子の成長ぶりに驚いています。6月初旬頃には、家の横の茂みでは蛍が飛んでいます。雑木林も少なくなったとはいえまだまだ豊富で、ウドやアケビも育っています。
 こんな田舎を私は素晴らしいと思います。お金を出して、人工的にこういう場所が作れるでしょうか。可能だとしても、どれだけの時間が必要でしょうか。 
 とは言っても、東郷町も自然破壊、環境破壊が進んでいます。
 我家のすぐそばの竹やぶは、3日で何もない新地になってしまいました。100u程でしょうか。ここは毎年春になると、竹の子を盗掘に来る人達で早朝にぎわう(?)場所でした。竹が生い茂り、5m先も見えない程の藪だったのです。 
 ただの空き地になってしまったこの場所は、ぞっとするほどの何もない場所になりました。切り倒すときは3日でしたが、あの竹やぶをもう一度元の姿に戻すのに、何年かかることでしょう。
 
 私が海上の森の立木トラストに参加したのは、去年の春のことです。毎年、母が海上の森へ、仲間と一緒にわらびや茸を取りに行くのですが、その時一緒に申し込んでもらいました。今も、海上の森には私の木が1本あります。
 その後も、できる範囲で反対運動に協力をしてきましたが、それだけに今回のBIEの総会の結果は、非常に残念でした。
 高木善之さんがいつもおっしゃる「いのちより経済」を身を持って感じました。貴重で豊かな自然を壊し、多額のお金(税金)を投資して愛知県が有名になること、これ以上発展することが、これからの未来にに対して本当に必要でしょうか。

 私には子供がいません。以前「自分の子供を持たない人に、親の気持ちは本当にはわからない」と言われたことがあります。しかし今、経済力を盾に世界各国へ日本への投票を推し進めた「親」達は、本当に「親」として、子供の未来を考えているのでしょうか。幸せは自然よりも経済力だと真剣に思っているのでしょうか。
 経済大国日本は輸入大国日本でもあり、このままでは何年か後に必ず食糧不足、エネルギー不足がくることを認識しているのでしょうか。それと同時に、日本の穀物自給率、エネルギー自給率を知っているのでしょうか。
 資源は有限です。日本が輸入を頼っている国が食糧不足、エネルギー不足になってきた時、お金を出せばそれを売ってくれると思いますか?お金は食べられますか?お金はエネルギーになりますか?
 この質問は、森林破壊と関係がないと思いますか?
 2005年、あなたは何才になりますか?あなたの子供は何才になりますか?
 万博開催決定に興味のない方、自分には関係ないと思っている方、本当に関係ないと思いますか?あなたの子供の未来にも関係ないことですか?あなたの税金にも影響がないと思いますか?
 あなたの子供が大人になった時、さらに大きく広がる海上の森と、どうしようもない万博跡地とどちらを望んでいるでしょうか。
 関係ないと思っている方はもう一度、自分の国(県、市)で行われる行事として、真剣に考えてみるべきではないでしょうか。無関心は無責任ではないでしょうか。
 先進国の中で、環境問題に関して今、いちばん無関心で無知な国は日本です。それを皆さんは自覚していますか?日本が環境問題に関して、世界からどのように見られているか知っていますか?

 こうして深読みをしていくと、万博開催国が日本に決定したことは、嫌なこと、無駄なこと、必要のないことを、諸外国が日本に押しつけたように思えてなりません。世界から、日本は見捨てられてしまう気さえします。今でこそ、経済大国として祭り上げられ、いい気になっている日本ですが、いざ資源不足、食糧不足となったとき、誰が日本を助けてくれるのでしょうか。皆さんは、自分が苦しいとき、他人を助ける余裕がありますか?お金を受け取ると苦しさがなくなりますか?
 自分のことは自分でするということは、幼稚園児でさえ知っています。日本の将来のため、いえ、地球の未来の為に、今、私達は真剣に考えるべきだと思います。手遅れだと気づいたときは遅いのです。

 有名なクイズがあります。ハスの葉クイズです。皆さんも、考えてみて下さい。
*ある池のハスの葉は、毎日倍に増えています。30日で全面がハスの葉で覆われ、池の生き物が全滅するとします。管理人はハスの葉が池の半分を覆ったら、なんとかしようと考えていますが、それは何日目でしょうか?またその作業にまる3日かかるとすれば、間に合うでしょうか?

 私は、海上の森だけ守れば良いとは思っていません。どこで開催されるにしろ、環境破壊は起こります。2005年の万博博覧会は、本当に必要なのでしょうか。ここから私は出発したいと思います。そして、これからも、反対運動を続けていきます。
 皆さんのなかで、具体的に活動をしていらっしゃる方、活動を始めようと思っていらっしゃる方、どんどん声を掛けて下さい。できることをできる限り、一緒にやっていきたいと思います。
 無関心の方、もう一度、自分のこととして考えてみませんか?
 賛成派のかた、環境問題についてもっと深く、一緒に勉強してみませんか?

 この文章のご意見、ご感想を、地球創庫までどしどしお寄せ下さい。お待ちしております。
                              伊 藤      

地球創庫だよりNo.28

14世ダライ・ラマ法王とお会いして

 やっと梅雨も明けました。昨年の夏はO−157の話題で過ぎましたが、今年はどんな夏になるでしょうか。
 さて、私は7月3日から11日間インドを旅行してきました。龍村ヨガ研究所所長の龍村修先生のご案内で、デリーでアーユルベーダの体験、ダラムサラではダライ・ラマ14世との謁見、チベット医学・チベット仏教の勉強など多くの体験をしてきました。
特に印象に残ったのは法王との謁見でした。
 インドのデリーのホテルまで、我が家を出てから成田空港経由で16時間、そこから夜行列車で8時間30分、そして車に3時間30分乗りやっとチベット亡命政府の町、ダラムサラに着きました。その町に約1週間滞在しましたが、7月10日に法王にお目にかかりました。偉大な宗教家として、又、政治家としても平和主義者としても有名な方で、お話をされるときは笑顔を絶やすことなく接して下さる優しい感じの方でした。
 チベットの現状、子供たちのこと、平和のこと、環境問題についてお話をされましたが一番印象に残ったのは「世界平和を願うならまず自分の心を平和にすることから始めて下さい。」とのお言葉でした。又、チベットの現状を少しでも多くの人に伝えて下さいとのお話もありました。
 日本は他国から侵略された経験があまりない国ですが、自分の国を追い出され、難民として他国で暮らす人々の生活がいかに大変かが少しは理解できたような気がした旅でした。皆様に少しでも参考になればと思い、今回からチベットの国について書いた資料を同封しますので、ご興味があればご覧下さい。
 夏本番となりますがお身体を大切にお過ごし下さい。
(服部)

*14世ダライ・ラマ法王*
チベット仏教最高指導者。
 ダライ・ラマはモンゴル語で「大海のような深い知恵を持つ聖人」という意味。
観音菩薩の化身としてこの世に遣わされたと言い伝えられる。初代ダライ・ラマは15世紀に出現、代々転生を重ね、現法王は第14世。1935年7月6日チベット東北部の寒村タクシュに生まれ、2才の時13世の転生として正式に認められた。以後、チベット仏教最高指導者として厳しい修行を重ねた。
 1959年のインド亡命以来、数奇な運命を辿りながら、全人類の慈悲心の目覚め=意識進化を唱え続け、今、宗教、民族、国家の枠を越えて世界の人々の尊敬を集めている。 1989年ノーベル平和賞受賞。
東洋の叡知と西洋の叡知の調和の上に立った全人類の宇宙的覚醒を説く。
 ご意見番コーナー
とうとう、ワープロが壊れてしまいました。今まで使っていたワープロは、知人から譲ってもらったもので、いろいろな人が約20年ほど使い込んだのではないでしょうか。
修理すべきか悩みましたが、せっかくあるパソコンを使わないのももったいないという事で、今月よりとうとうパソコンで作成することになりました。
そこで、会員の方の紹介で早速プリンターを購入しました。カラーコピーのサンプル等を喜んで出しているうちはよかったのですが「一太郎」の説明書を片手に いざ!となると、なかなか思うように行きません。古い型とはいうものの、今まで使い慣れてきた方法とはかなり違うため、今でもわかっているのかわかっていないのか、自分でもよくわかりません。これからの進歩をご期待?下さい。
 さて、これから私の大好きな夏が始まります。会員の皆様もお身体をくれぐれも大切に、毎日をお過ごし下さい。
                              伊 藤      

地球創庫だよりNo.29

生きる力も治る力も野生のもの

 ☆アルツハイマーの症状がひどい明治生まれの母は、足腰はしっかりしているものの、よく転びます。1週間前(8/13)も、車をよけて道の端で転び、左眉の上に2pくらいの深い傷と頬に大きなコブが出来ました。僕が駆けつけた時は、出血はひどいものの、普通どおりの感じで石に座って、多勢の人が取り囲んでいました。治療する為、家へ連れて帰ろうとすると「救急車を呼んである」と一人の人が言いました。「大したことはなさそうだから、救急車が来たら帰ってもらうわ」と待ちました。
 救急車のスタッフは4人もいましたが連れて帰るわけにはいかず「一緒に乗り込んでくれ」と言われたのを車でついていって、連れて帰ってくることにしました。
 病院で、医者は2pの深い傷があるから縫いますと言いました。「やめて下さい。すぐ治りそうなのにそんなことをしたら治りが悪くなる。もう血も止まって治りかけているのに傷つけたら困ります。」と言ったら、「そうかなあ」と謙虚なお医者さんでしたが、もう一度「縫わせて下さい」と僕に言いましたが、「やめて下さい」とはっきりお断りしました。
 3日もしたら、すっかりよくなりました。

☆山の芝刈りで、枝が右目に当たって痛くてたまらなくなりました。休日であったから救急病院へ電話をしたら2時間後に来て下さいとの返事。2時間待っていたら痛みは和らぎ、ずいぶん気にならなくなりました。診察を受けると、角膜の表面がめくれていますから、雑菌がつかないよう眼帯をし、薬(2種類)を3時間おきに点眼して下さいとのこと。毎日、通院するように言われました。
 眼帯をしていると痛くてかなわないためはずし、点眼薬をすると痛いため、するのをやめました。するとすぐに楽になり、元の様に見えるようになりました。通院はやめました。

 治癒とは野生のものであり、治療しすぎるとかえって邪魔をするのだと改めて思いました。             (中山)
 ご意見番コーナー
お盆休みもあっという間に終わってしまいました。毎年恒例の白川町藤井ファーム でのバーベキューは、雨にも降られましたが、とても楽しいひとときでした。
見上げるほどの木々に囲まれ、みんなで食べるバーベキューは、本当に美味しく、時間が過ぎるのも忘れるほどでした。山の中は、不思議なほどに落ち着きます。
 今年で4回目のこの会ですが、皆勤賞は樋田先生ご夫妻と私です。道順もようやく覚え、まだ何も決まっていないのに、来年からは自分たちだけで行けそうだと計画だけはしっかり立てています。今年参加できなかった方は、ぜひ来年ご一緒しましょう。
 その後一週間の休日は、横浜に住む甥っ子の襲来で、あっという間に過ぎ去りました。 しかし、海にプールに盆踊りにと、自分だけではとても行きそうにない所へ行くことができ、しっかり遊んでしまいました。しっかり疲れましたが・・・。
 甥っ子は4才ですが、子供って純粋だなと思わせることがたくさんありました。 
「お店屋さんごっこ」をしていると、「はい!さんじゅうごひゃくえんのおつりです」と、大人からすると訳の分からないことを言ったり、花火で突然大きな音がすると、
「今、ぼくのしんぞうが大きく動いたよ!」と教えてくれたり,「ぼくはもう4才なんだから、3才のころとはちがうんだ!おおきくなったんだから!」と粋がってみたり。
他にもいろいろ、自分の小さかった頃ってこんな風だったのかなあと、しみじみ感じてしまいました。
 甥っ子も帰り、日常の生活が戻ってきましたが、何となく心が洗われたようなお盆休みでした。これからは、バリバリと仕事をこなしていきたいと思います。  
                              伊 藤      

地球創庫だよりNo.30

友達からの手紙

 今回は、私の友達からの手紙(正確には電子メールです)を紹介いたします。
その方は今、医学部の2年生ですが、薬剤師・鍼灸按師の資格も持っている、少し変わった医大生です。
鍼灸学校時代に私達(中山、宇佐美、伊藤)と同じクラスで、もう10年来のつき合いになります。
久しぶりに受け取った手紙でしたが、私自身、とても考えさせられました。
 皆様はいかがでしょうか。要点だけの抜粋ですが、どうぞお読み下さい。

「ところで今、私は漢方研究会というサークルで主に活動しています。(実は、ゴルフ部にも入っているのですがそちらはあまり活動していません。)漢方研は名前の通り、漢方(主に傷寒論)を中心に勉強していますが、最近では漢方に限らず、代替医療などの反西洋医学も積極的に取り入れようとしています。
先日も、O−リングテストの勉強会を開きました。その時15人くらいの学生が集まりました。
勉強会後の学生の反応は大きかったのですが、2週間もすると関心も薄れて、今では半信半疑のようです。
まあ、医学生として実際の臨床にどう生かすのかという問題には、当面携っていないのでいた仕方ないにしても、少し複雑な気もします。

 医系大学は、99%といっていい程西洋医学だけを学ぶところです。
ところが日本の大学の中には、ほんの一部ではありますが東洋医学を教えるところもあります。
 私の通っている大学は、東洋医学に理解のある先生がまだまだ少ないようで、千床ある大学病院の8割以上が難病患者(癌など)だというのに、いかに生かすかというよりも、明らかにその逆をやっているとしか思えない、そんな印象です。このことは、日本の多くの医療機関でも同じことがいえると思います。
 しかし、このような矛盾を変えていくのは、一朝一夕とはいきません。
 現在、多くの医師達は医学生時代、西洋医学しか学ばずに臨床の世界へと旅立ちます。
臨床の世界に出て初めて、現代医学がすでに行き詰まっていることに直面するのです。
(私の言う現代医学は、西洋医学至上の医学のことです。)
けれども、心ある医師はやがてこのことに気付き、初めて模索するのです。
医学部に入学してから、なんと早い人で8年以上が経ってからです。
本当にこのような状態だから、なかなか難しいのではないかと思うのです。
だから、現在行われている医療を変えていくことも勿論大切ですが、何よりも根本の
医学教育から変えていかないと、医療全体が変わりにくいのではないかと最近
思うのです。・・・・・・以下略・・・・・・」
(伊藤)
 ご意見番コーナー
                                  
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