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鍼灸治療室 ガイアそうこ
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鍼灸治療室 ガイアそうこ
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会員様宛に発送しているお便りです。

地球創庫だよりNo.61

赤について

 勧善懲悪を主題とした「南総里見八犬伝」で知られる江戸後期の読本作者の滝沢馬琴は薬屋も営んでいたそうだ。大作家が執筆の傍ら薬を造っていたのは奇妙な気がしないでもない。馬琴自身がよく患っていたのに加え、医者をしている息子の夫婦も病弱だったからだ。実利を兼ねていたわけだ。
 ある時、そんな馬琴を慌てさせる事件が起こった。孫二人が死亡率の高かった天然痘にかかってしまったのだ。馬琴は懸命になって薬で手当てをする一方、周囲を赤で統一した。赤い木綿で着物や頭巾を作って身体を覆うとともに、寝具・蚊帳など周りを全て赤一色にした。中国医学の教えによって、患者さんを赤色で覆うと天然痘が軽くなると信じられていたためだ。
 一般の人には迷信と思われるかもしれないが、1894年デンマークの医学者ニールズ・フインセンによって、天然痘が赤外線で悪化しやすく、それを遮る赤い色を使うと、悪くなるのを防げることが確かめられている。
 さらに最近では赤色が病気に効果を発揮する事が、食品の世界で確認されつつある。
赤い色の食べ物には、動脈硬化、心筋梗塞、ガン等多くの病気に関わっている活性酸素を退治する抗酸化物質が豊富に含まれているからだ。例えば、鮭にはβカロチンの仲間であるアスタキサンチンという色素が含まれていて、それが強い抗酸性を発揮する。肉や脂肪を多く摂取する国ほど動脈硬化による狭心症や心筋梗塞等の病気が多く発生するとされている。
 だが、それにも例外があった。
 フランスだ。フランスは国民一人当たりの肉や脂肪の消費量が多いにも関わらず、心臓病による死亡率はなぜか低かった。この現象は、フレンチ・パラドックスと呼ばれ研究者を悩ませ続けた。その謎が最近になって解かれた。 フランス人が好んで飲む赤ワインに、ポリフェノールという抗酸化物質が多く含まれていることが判明したのだ。
 我々も馬琴に習って赤の力を多いに利用したいものだ。
花の季節、真っ赤なチューリップを見て思ったエピソードです。     
  

 (服 部)
ご 意 見 番 コ ー ナ ー

 2回目、3回目の抗癌剤治療を続けて受けたKさんは、とうとう白血球数が元に戻らなくなってしまいました。1回目に比べたらかなり弱い抗癌剤だということで、週末毎に外泊で自宅に帰り、私が治療をしました。その時は呼吸も楽になり、元気になるのですが、病院に戻ると、今ひとつ症状も戻ってしまうという繰り返しが続きました。
 2回目、3回目も本当は断ろうと思っていらっしゃったようなのですが、1回目の抗癌剤がとてもよく効いたと医者に言われたこと等(本人もそう信じているのですが・・・)、やはり医者の説得には逆らえず、受けてしまったということでした。
 しかし、白血球数が戻らなかったことは、ご本人にもかなりショックだったようです。と同時に、「抗癌剤治療は二度とやらない」と決意したとのこと。予定の4回目も「やらない!」とお医者さんに宣言したそうです。
 すると今度はお医者さんの方から、「あなたには抗癌剤治療は向かないから、放射線治療に切り替えたいのだが・・・?」と言ってきたそうです。
 1回目の抗癌剤治療できれいになった肺が、CTで見ると陰があり、それが癌とは断定できないが今のうちに叩いておきたいということらしいのです。
 Kさんは「嫌だ!やらない!」の一点張りで、抵抗を続けました。その理由の一つには、知り合いが、同じ病気で抗癌剤治療と放射線治療をして亡くなっているという事実がありました。
頑ななKさんの態度に困ってしまったのか、今度は病院側が家族を呼び出しました。前日娘さんから相談を受けましたが、取り敢えずは即答を避けるようにお話ししました。
 その後の娘さんの話によると、巧みな病院側の説明でKさんの心が揺らぎ始めたので慌てて「週末に家族会議を開き相談します。」と答えたそうです。すると、お医者さんの態度が露骨に荒々しくなり、つっけんどんに部屋を出ていってしまったとのこと。その豹変ぶりに驚いたと話していました。一体誰のための治療なのでしょうか。
 そして週末にKさんと私で相談し、もうこれ以上の西洋医学的治療はやめようという結論に達しました。
 病院も退院し、現在は約一月に一度のペースで定期検査にのみ通っています。
 自宅の畑で、草をむしったり、耕したりする生活は、やはりとても快適とのこと。
 先月の検査では「また陰が少し出てきたから放射線を当てたい」と病院側に言われ、断ってきました。樋田先生の所へも通院し、今月の検査では陰もかなり消えていました。
 Kさん自身は、1回目の抗癌剤が効いたと思っていらっしゃいます。それが事実かどうかはわからないことですが、本人が元気で過ごせていれば、いちばんいいと私自身は思います。(でも機会があれば、お話したいことがあるのも事実です。)
 高麗手指鍼治療は、呼吸がとても楽になると言って、毎日のお灸も熱心にやってもらっています。こうやって、少しずつ自己免疫力を高めていくこと、精神的に落ち着き、安心していられることがベストではないでしょうか。
 まだまだ、これからも治療は続きますが、誰よりも勉強させてもらっているのは、Kさんではなく私自身だと思っています。そして、滅多にないこんな貴重な経験をさせて下さっているKさんには心から感謝しています。今まで通りの生活に戻り、収穫された野菜をまた分けていただける日を楽しみにしています。          
(伊藤)

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地球創庫だよりNo.62

いのちのツボ(自立性といのちの方程式)

 ゴールデンウィーク中に、ある病院の個室へ往診に通いました。4月27〜5月7日まで、1日おきに6回治療しました。
 最初行った時は顔色も悪く、寝たきり状態で、栄養点滴を受けていました。末期癌の告知を受けているにしては気は張っていて、思いの他、元気そうでした。手指鍼治療の他、自律神経調整法、経脈調整法を行って、あとはお話をしました。最後には、身体中がゆるんだ反応をしました。
 2回、3回と通うたびに元気になり、5回目からは立って歩けるほどになりました。しかし、痛みもなく、お腹もすいて元気いっぱいであるのに、食事をしようとしません。医者に止められていることは恐くてできないと言うのです。「用心ばかりしていたら、なんにも実力がつきませんよ、医者任せで治る病気と違いますよ」と話しても、納得も理解もしてもらえませんでした。
 私には、死期まで告知し、治らないと言っている医者を頼りにすることが理解できません。『医者のできる治療では治すことができない』という狭い範囲の情報に過ぎないのに、全てであるかのような絶望感を医者自身まで持っているなんて情けない話です。
 僕は、『いのち』を見ずに、身体の部分だけを見てまともな治療ができるとは、とうてい思えないのです。 『病というものは外から治すことは無理であり、自分の身体が治るように仕向けることしかできない』という事実をしっかり見据えた謙虚な姿勢からしか、患者さん自身の自立性・主体性は出てきません。
 治療とは、患者さんの身体が、勝手に治る力がいちばん確実で、可能性も高いのです。
その力を押さえ込むことや、強力に押しつぶすことが治療と勘違いしている限り、快方に向かうことは少ないと思います。
 保護と依存は、免疫力・抵抗力の低下をもたらすことから、結局、自分のいのちは自分が信じ、納得した範囲を越すことはないと思うのです。
 『自立性といのちの方程式』を、皆さんはどう思われますか?       

(中山)
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地球創庫だよりNo.63

医療問題について

日本では、少子化と人口の高齢化が、医療と合わせ介護と福祉の問題として、深刻に取り上げられつつある昨今です。この事は以前から予測できたことでありながら、日本ではバブル景気に酔って、子供の教育、高齢者の健康問題や福祉はおろそかにされてきました。一般の人々には、「自分の健康は自分で守るべきだ」という当然のことが自覚されないまま、半世紀もの間、「病気にかかっても健康保険で面倒を見てもらえる」という考えがありました。
 これは、医師の側が「病気のことは医師にしかわからないのだから患者は医師の言うことを黙って聞いていればよい」という態度をとってきたからです。これまで医師は、いつも検査の正常値(平均値)を患者に押しつけて、「○○をしてはいけない」という一方的な指示を出して、病人作りをしたり、生活制限を厳しくして、一般人のQOL(QUALITY OF LIFE)を妨げる行動をとり、それを反省することがありませんでした。
 これからの医療に従事する者は、人々が平素の生活習慣を正しい方向に向けるように指導することが社会的責任であると考え、予防医学に徹する健康教育を開発していかなければなりません。
生活習慣の変容により、あまり医療費をかけないで健康生活が送れるようになることが大切だと考えます。そうなれば、生活習慣病といわれるものにかからずにすむために、国民の医療費を大幅に節約する事ができると思います。今日、介護関連の会社でTVのCMでおなじみのコムスンがリストラ策を発表したというニュースを聞いて、改めて医療というものを考えさせられました。
 皆さんはどう思いますか?
       

(服 部)
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地球創庫だよりNo.64

自律神経調整法

 樋田先生のところへ毎週通い出して早や10年目になります。
 当初に聞いた「交感神経の支配する側に力を入れると、体のバランスが調整できる。」という事を、大勢の患者さんに応用しました。
 ショケイの患者さん(2年間、大学病院を始めあらゆるところへ行った)は、小指で大きめのボタンを握らせたらその場で治ってしまったり、足のふるえる患者さんは足の親指に力を入れるとふるえが止まったり、と。
 外から行う治療より、患者本人の実力で治ってしまうのを目の当たりに見てきました。「力を入れるべきところに入れれば整う」と樋田先生は言われました。
 この頃、毎週通ってくる膠原病で、手首から先と足首から先が真っ白になっている(レイノー現象)患者さんも両足の親指から力を入れると、手も足も見る見る赤みをおびて、正常に戻ります。
 「症状を苦にして、脳が力んでいるうちは治りませんよ。力を足の親指と手の小指に入れるだけで意識をそっちへ持って行くだけで、こんなに簡単に楽になるという事は、あなたに治る力があるという証明じゃないですか。人は治してくれませんよ。心配癖はあなたが変わらない限り、あなたが安心感を持つようになれない限り、治りませんよ。心配なんてもともと「いのち」を誤解しているからであって、「いのち」の凄さ、ありがたさを少しずつ理解してゆけば、気分も身体も確実に変わって行きます!」なんて事を力説しております。     
(中山)
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地球創庫だよりNo.65 

夏休み

 今年は、例年以上によく働いた自分へのご褒美として(私の仕事っぷりをご存知の方は「?」と思われるかもしれませんが、他人との比較ではなく、あくまでも自分自身の問題としています。)お盆休みに、思い切り遊ぶことにしました。
 まず伊勢神宮に行きました。山下先生が亡くなられてから、一度も行っていない事や、いろいろと思うところもあり、久しぶりに4回目の訪問です。 とても暑い日でしたが、念願叶ってスッキリしました。(伊勢神宮までは、6時間かかると思い込んでいた父と、四日市より手前だと思い込んでいた母を連れての珍道中でした。)
 そして伊豆半島です。雨上がりの旧天城トンネルや、浄蓮の滝は、日常の生活からかけ離れた、とても不思議な空間でした。
 海も果てしなく広く、青く、石廊崎先端から見渡す太平洋は、地球が丸いことを否応なしに、見せつけてくれます。
 何年ぶりかの海水浴も、高波に乗り浮かんでいると「人間は海から来て海に還っていくんだなあ」と思えるほど、気持ちの良いものでした。
 気心の知れた友人達との旅は、とてもリラックスでき、日常生活を忘れる事ができました。
 お盆休みの最終日は、町内花火大会を、ベランダの特等席から見物です。
あっという間の短い夏休みでしたが、私にとっては治療以上に心が癒された時間だったという気がします。
 そして今は、残暑厳しい名古屋の街中で、ゴミ分別に四苦八苦しています。
 皆さんは、どんな夏休みをお過ごしでしょうか?        
(伊藤)

                                             

地球創庫だよりNo.66

根 治

 毎日、患者さんと話をしていて気づくことがいろいろあります。その一つが「症状を苦にしている」です。
 具体的にいえば、痛み、痺れ、不快感、血圧、体温、血糖値、尿量、その他、臓腑や血液、身体の部位の働きなどいろいろ。
 症状にこだわり、何とかならないかと治療を求めて来院します。
 よく考えてみると、対症療法は患者側が求めているだけでなく、医療側全般に行き渡った本質である気がします。
 医療側は小さな症状も見逃さず、心配させ、患者をゲットします。患者側は心配で、鵜飼いの鵜のように見えないヒモでしばられていることに気づきません。
 症状を軽くしたり、むりやり平均値にしたところで根本的病状が変わる訳でもありません。
 症状を苦にせず、気が外(楽しさ、嬉しさ)へ、それるだけで、身体本来の生命力が発揮できるのに、医療側も患者側も「症状」に振りまわされています。
 実は、「症状」そのものが、身体の生命力の働きであって、他人(医療)ができることはうまく経過させ、うまく出し切る補助でしかないと思います。
 師匠H氏は「症状即療法」と身体の根本について話されました。
 根本的に治ること−それは本人が変わることであって、本人にしかできないと思います。 

 (中山)

地球創庫だよりNo.67

「本気」とは?

 本気の「気」は「息」であり、「息」は「呼吸」をさしている。緊張した時、重大な決断をする時、生き物は息をひそめる。
 獲物を狙う時、プロポーズをする時、真剣に見る時、聞く時等に使われる「息を詰める」「息を殺す」「息を呑む」「息を潜める」といった表現は、どれも呼吸を止める動作を意味する。
 日頃、緊張感を持続して生きている人ほど、息を止める動作が多くなるわけであるから、緊張が解けた際に吐く息も、当然に大きくなる。吐く息の大きい者が、多くの人々を惹きつけるとよく言われるのは、己の存在をかけて生きている、つまり本気で生きるテンションの高さに、周囲の人々が引っ張られるからに違いない。
 アサヒビールの樋口慶太郎会長も「力のある人間は、みんな吐く息でしゃべるんだ。吐く息でしゃべるということは、活力を生むんだね。」と語っている。
 逆に、緊張を避けたがる人は、楽な方法を選ぶ。多くの前例に習い、あらかじめ誰かが作っておいてくれた秩序に依存する態度であり、本気の態度でない。
 日没の時刻が早くなり、少し寒くなったこの時期、活力を生む大きな息を吐きながら(ため息?)、このようなとりとめもないことを考えていました。皆様も、風邪をひかない様に気をつけてください。

(ここ一ヶ月風邪気味の服部)

地球創庫だよりNo.68-69

いのちの求めていること

 N氏の紹介で、また病院に治療に出かけました。「友人が『脳出血』で、手術もできないし、命が助かっても植物人間を覚悟するように言われている。延命治療はしないように申し入れてあるそうだ。」という話でした。
 病室に入ると、4時間前に救急車で運び込まれた患者さんの左前腕に止血の点滴、鼻に酸素のパイプ、ペニスには排尿カテーテル、右手人差し指先端血管に血圧拍動検知器が取り付けられ、常時検査値が画面に映し出されていました。
 酸素吸入をやっているにもかかわらず、呼吸は荒く、身体中、苦しそうでした。
 N氏を仲介者(O−リング)にして、診察と治療方法を決めました。患者さんの身体に聞いてみると、手根、足根全24穴へ圧鋒を貼ることと、両手中指の先端6穴の瀉法を行うだけでいいと答えました。その通りやってみると、すぐさま身体中の力みが取れ始め、呼吸も静かになり、血圧も下がりました。アドレナリン状態から全身エンドルフィン状態に変わり、意識も戻って、人が誰であるか、何を言っているかも理解できるようになりました。
 しかし、『脳出血による中枢神経麻痺はどんどん進むものである』との前提で、身体が楽になり、意識も戻ったのにもかかわらず、胃内部洗浄と胃液中和剤注入、胃液排出管挿入・装着、解熱剤点滴・・・とパイプがどんどん増えてゆきました。その上ペニス・膀胱のカテーテル部炎症防止のため、下腹部に氷の塊を多量に乗せました。患者さん本人は、パイプも氷も“うっとうしい”らしく、取ろうと試みるため、両手・両足ともベッドに縛られ、寝返りさえうてません。背中が痛くなって、結構な力で起きあがろうとして、叱られて、抑えつけられます。
 当夜が峠、あるいは崖で、亡くなると思って呼び寄せられた親類縁者、十数名。皆、医者の言う事を素直に信じて「もう亡くなるか?」と深刻な顔を寄せていました。24時間経っても、48時間経ってもその気配はなく、生き続け、回復していることに気づきません。
 N氏は、看護婦や医者に対して対等な態度で、強い物言いをします。「本人が起きあがりたがっているのに何でいかんや?」「本人が嫌がっているパイプをどうしてはずしてやっていかんや?」「医者は仕事でやっとるだけやけど、本人は命がけでやっとるんやぞ!」
 返ってくる答えは、症状に振り回されている現代医学のマニュアル通りのもので、患者さん本人全体や、いのちそのものを見る目からは、とても納得しがたい体面や立場を守るものとしか感じられません。
 N氏と僕の見解は一致。
 『患者さんは、身も心も疲れ果て、今必要なのは休息、安心であって、寝て、寝て、寝まくる事だ。』

(中山) 
ご 意 見 番 コ ー ナ ー

毎月の情報発信を開始して約6年になりますが、先月初めて“地球創庫だより”を入れることができませんでした。毎月楽しみにして下さっていた会員の皆様には、大変ご迷惑とご心配をお掛けいたしましたことを、ここに深くお詫び申し上げます。
 もともと「地球創庫」は、平成7年4月に『東洋医学を中心とした《心と身体の健康を考える》情報発信基地』として設立し、活動を開始致しました。
 当時は、まだまだ西洋医学の風が強く、東洋医学やホリスティック医学といった言葉がようやく一般の人々に注目されようとしているところでした。
 あれから5年が経ち、世の中も少しずつですが、確実に変化しています。
西洋医学に疑問を持つ人も、ずいぶん増えてきました。“自分自身で物事を考える”という当たり前でありながら、なかなかできないことが、医療の面でも少しずつそれをできる人が増えてきた様に思います。
 また、今ではインターネットが普及し、自分の欲しい情報はいつでも手軽に入手できるようになりました。
 更に、平成10年4月より開業致しました「鍼灸治療室ガイアそうこ」の仕事に追われ、今までのように情報発信の作業に時間が取れなくなりました。
 これらの事情から、情報発信を終わりにしようと思ったことも、何回かあります。
 しかし、「地球創庫」の代わりは「ガイアそうこ」ではできないこと、今月の便りのように、まだまだ世の中は変わっていない部分も多々あることを、この一ヶ月でしみじみと実感し、これからいつまで続けられるかわかりませんが、私達の思いは、地道ながら確実に、発信していきたいと思っています。
 今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。           
(伊藤)                                                     

地球創庫だよりNo.70

いのちの求めていること その2

*先月号のたよりに書いたN氏の友人は、12月13日以来、一ヶ月以上、今も生き続けています。しかし、少しずつ悪くなっているようです。僕は、12月28日以来お呼びがかかりません。N氏も「腹が立って消耗するから、週に一回位しか行かない」 と言っていました。

*胃に潰瘍ができないように鼻からのパイプで中和剤を入れたり、胃液を排出していたにもかかわらず、潰瘍ができました。N氏に言わせると「そんなことするから潰瘍ができるんだ!」とのこと。 

*全身、動けるのに縛りつけ、「安静」を強いた結果、右半身に麻痺が出始めました。 24時間、右腕を締め付け、動かないようにして二週間も血圧を測定していたため、血行不良はもちろん、腕も指も全く動かなくなりました。まさに「気枯れ(ケガレ)」、 「気去る(クサル)」の始まりでしたが、N氏の怒りの「はずせ!はずせ!」コールで 圧迫を取ったら、血行は戻り、手も温かく、機能も回復しつつあります。排尿カテーテルもやっとはずれ、オムツになりました。

*「安静」(じっと動かないようにしている事)を強いると、何か良いことがあるのか 考えてみると、治療者側の安心のみであって、患者さんにとっては苦痛であり、それがあきらめまで行くと、気力が失せます。

*脳血管障害や脳神経障害の人は、錯乱状態になるということが言われます。僕の臨床でも、一度だけ経験しました。

  うつ病の患者さんが、身体をコチコチにして、凄みのある形相で来院しました。瀉法を施し、手指鍼をしたら、身体がゆるんでイスからズルズル仰向けにずり落ちました。床にいる患者さんに「手に鍼を打ってあるからね!」と言って、そのままにさせておきました。身をよじりだし、うめきだし、声も大きくなり、のたうち回り 始めました。付き添いの人が身体を押さえつけようとしているのを止めさせて、見守ることにしました。身体からは不快物質を大量に放出しながら、エンドルフィン状態(生き続け、治る働きも最高な時)でした。どう見ても狂った、錯乱状態であるのに、 手の鍼を意識しているとしか思えない動きが認められ、安心して経過を見守りました。
 数分で動きが和らぎ、10分後にはケロッとして「スッキリしました」と立ち上がりイスにキッチリ座りました。病院では、抑えつけられ,尻に注射をされ、眠らされる事を4〜5回経験していると話してくれました。
*治療者側が心得なければいけない第1は、補い・かばい・助けることではなく、「いのちが何を求めているか」を見極め、最小限の手助け以外、何もしないことだと僕は思います。
  しかし、今の医療に「治療の本質」を求めても、無理だと思います。 

(中山)
ご 意 見 番 コ ー ナ ー
高山では、「へくそむし」というダンゴムシのような、さわるととても臭いムシが夏に異常発生すると、その年の冬は雪が多いと言われているそうです。
 今年の夏は、その「へくそむし」がとても多く発生し、冬に雪が多いと言われていたとのこと。年末までは“今回は外れた”と思っていたら、今では毎日大量の雪かきに追われている・・・と地元の方からお聞きしました。
 「先人の知恵」とか「言い伝え」とでも言うのでしょうか。昔の人の話には、何かしら学ぶことが多いものです。
 それは自然と共に生き、自然の中に還っていくという当たり前のことを、当たり前にしていてこそ、生まれてくる知恵なのかもしれません。
 しかし、自然と共に生きることが、今ではとても難しいことを私達は実感しています。そして引き替えに、私達は便利で快適な生活を手に入れました。
 果たしてそれが本当に自分にとって、子供達にとって幸せかどうか・・。
 そこで最近は、《昔に戻ろう》とか《自然との共生》というお話がいろいろな場所で聞かれるようになりました。いつ聞いても納得させられる話ばかりです。「先人の知恵」や「言い伝え」を無視した今の生活は、やはりどこか変で、このままではいけないと思わずにはいられません。
 しかし、そうとはわかっていても、便利さに慣れているのも事実です。
 例えば、お昼休みに弁当箱を水道で洗うと『やっぱり冬の水は冷た過ぎる!でも、昔の人はもっと冷たい川の水とかで、北風に吹かれながら、洗い物や洗濯をしていたんだから、すごいなあ!』と思いつつも、湯沸かし器が欲しいとみじみ思ってしまうのです。まずは、できることから一歩ずつですね。
 本年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。         
(伊藤)
 
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