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鍼灸治療室 ガイアそうこ
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鍼灸治療室 ガイアそうこ
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会員様宛に発送しているお便りです。

地球創庫だよりNo.71

ストレスとストレッサー(ストレス学説)

 2月の20日過ぎという季節からすると暖かな日が続く最近ですが、如何お過ごしでしょうか。私が講師をしている中和医療専門学校では、3年生が2月24,25日の二日間にわたって行われる国家試験に向かって、全力で勉強している時期です。最近の授業では、私の担当している鍼灸理論についての質問や、国試の過去問についての質問に答える時間が多くなっています。 そんな中で、ふとストレスとストレッサーを考える時間がありました。
これは、カナダのハンス・セリエ氏が1936年に提唱した学説で、生体に加えられた種々の刺激は、下垂体−副腎皮質系を介して内分泌系に特徴ある一連の反応を起こすという内容のものであります。東洋医学には、怒りとか悲しみという情動が、肝や肺に影響し、健康を害すという考えがあり、心と身体の関係を重要視した精神身体医学の基礎的な考え方の一つであります。 これは、私達の生活環境をとりまく内外の様々な刺激が、生体に影響を及ぼすことをあらわしています。このように生体に対して刺激となるものを、ストレッサーと呼び、ストレッサーが作り出す生体のゆがみ・ひずみの状態を、ストレスといいます。
 私が最近、講演会に参加し、本を読ませて頂いている小林正観さんはその著書「幸せの宇宙構造」の中で、ストレスとストレスを感じる「私」との関係は「ストレッサー度」対「許容量」の問題であると言っています。目の前をある人が通り過ぎるとします。その人に対して「私」が何も感じなければその人はストレッサーではありません。その次の人が通り過ぎるときに、その人が「私」をイライラさせたとします。イライラさせたということは、つまり「私」がイライラしたということですが、そのイライラした瞬間に地球上に、「私」の目の前にストレッサーが生まれたのです。つまりストレッサーとなる人が現れたわけです。
 暇なときにこの許容量を上げる訓練をしておけば、いろいろな時に対処できることになります。その訓練という場が私達の日常生活であり、まわりと人間関係であるということです。それを考えたら毎日毎日、自分の目の前で「私」の許容量を上げてくださる方に思わず頭が下がり、手を合わせて拝みたくなるではありませんか。正観さんの本の抜粋になってしまいましたが、一つの出来事、宇宙的な事実というものには「色」がついていません。それに「色」をつけるというのは「私」なのです。正観さんの話してみえる「ものの見方と見方道」をもっと知りたいという思いが強くなったということで、今回は終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

(服部)
ご意見番コーナー
一年程前に、Kさんという肺癌の患者さんのお話を3回シリーズで、ここに紹介致しました。今回は、最終回として、その後のお話をさせて頂きます。
 昨年春頃から、病院への定期検診と樋田先生の治療と、時々私の治療で、Kさんは本当にお元気になられました。夏には畑で野菜を作り、秋には散歩の距離がどれだけ伸びてきたか、それは嬉しそうに話して下さいました。
 秋が過ぎると、見た目では本調子だと思えるくらいの状態になり、病院の主治医までもが驚くほどの回復ぶりでした。本当に、一年前とは見違えるほどでした。
 そんなKさんを見て、安心してしまったことが最大の原因かもしれません。
 大晦日に健康管理のつもりで行った往診で、お顔をぱんぱんにむくませたKさんを見たときも、その表情のかわいらしさに気を取られ、「俺は何も飲んでおらんぞ」という言葉を簡単に信じてしまったことが原因かもしれません。
 手足のむくみがひどくなっても「利尿剤を飲むと楽な気がする」と言い、飲み続けたKさんを止めることができなかったのが、原因かもしれません。
 そんな時期に、頻繁に、往診に行かなかったのが原因かもしれません。
 12月の下旬、誰にも言わずに、一週間だけ飲み続けた抗癌剤で、Kさんの体調は一気に悪くなり始め、そして、1月29日未明に亡くなられました。
 抗癌剤を飲んだことを娘さんに初めて打ち明けたのは、1月15日でした。
「どうして勝手にそんなことを!」と激しく叱る娘さんを見て、本当に悲しそうなお顔をされたそうです。医者に『この調子で一気に癌をやっつけましょう!』と言われ、2錠出されたのを1錠にしてもらい、1日1回一週間だけ飲んだそうです。まず髪の毛が抜け始め、そして身体のむくみ、呼吸の苦しさが徐々に出始めました。1月の半ばを過ぎた頃には、もう鍼灸治療での限界を超えたように感じました。
 Kさんが入院を希望され、病院に入って行かれたときは息苦しさも治まっていて、お元気そうだったのに、夜、行ったときは、土気色のお顔でした。その日の検査でガタッと悪くなったように、私には見えました。毎夜治療に通いましたが、4日後、最後は、本当に眠るように安らかに逝かれました。それが、せめてもの救いでした。
 Kさんは、病院の先生に鍼灸治療のことは、何も話していませんでした。残念なことですが、今の医療の現実から考えれば、無理もないことだと思います。
 また、医者から出された抗癌剤を、Kさんなりに考えて、量を減らして、飲んでしまいました。なぜ出したのか?なぜ飲んでしまったのか?でも、それも責められないことなのかもしれません。いちばん悔やんでいたのはKさんでした。
 そして、私自身も“なぜ、あの時に・・・”という思いが、幾つも幾つも浮かんできました。中でも、元気なKさんを見ていただけに、私までもが、もう大丈夫と思ってしまったこと、Kさんの言うことを簡単に信じてしまったことは、今でも本当に、情け無いほど悔やまれます。改めて、未熟な自分を痛烈に感じました。
 Kさんを通してたくさんの課題を頂きました。「人生、どちらを選択するか」、「人間は、生きていればこそ」の言葉を噛みしめながら、まずは今日一日を送ります。
(伊藤)
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地球創庫だよりNo.72

四つの窓

 アメリカの心理学者ジョセフ・リスト氏とハリーインハム氏は、人間の心には四つの窓があると唱えた。「ジョハリの窓」と呼ばれるものだ。
 一つは「開いた窓」。自分も知り、他人にもオープンになっている心の窓だ。
 次に「隠した窓」。自分は知っているものの、他人が知らない秘密の部分だ。
 三つ目は「盲目の窓」。自分では気づかないが、他人が知っている窓。
 最後が「暗い窓」。自分も他人も知らない、いわゆる潜在意識の部分だ。
 人間の心はこの四つの窓に例えられ、どの窓に立っているかで心の状態が異なってくる。
 例えば「隠した窓」の大きい人間は、知らせまいとする心の壁が高く、自閉的で、他人に対して容易に自分の心を見せない傾向が強い。「盲目の窓」が大きな人は、自分を知ろうとしない心の壁が高く、独りよがりで、しばしば人間関係でもめたりする。また「暗い窓」には自分が気づかない、未知の可能性が隠れており、成長の源泉ともなる窓だ。
 これらの窓のバランスが取れていたとしても、人間が、自分で知ることのできる自分の心は、窓のこちら側=半分に過ぎない事になる。
 自分のことは自分がいちばんわかっていると考えがちだが、これは大きな間違いで、人間は、自分の心をそれ程はっきり把握しているわけではないのだ。

 こんな事を、花粉症で鼻が詰まって、もうろうとした頭で考えている今日この頃です。
 皆さんの心の窓はどれですか?
 (服 部)

ご意見番コーナー

新年度を迎えて、「鍼灸治療室ガイアそうこ」も少しずつ変わっていきます。新しいキャストも加わり、忙しくも楽しい毎日になりそうです。
 最近は、新しい人が入る度に、自分の経験年数を考えてしまうことが多くなりました。鍼灸学校を卒業して10年になるなんて、本当に信じられません。しかし周囲の目は、まだまだ新人と思っている自分の心とは裏腹に、以前とは確実に違ってきています。果たして、それだけの責任ある行動(治療)がきちんとできているかどうか・・・。正直なところ、全く自信がないのですが、自分というものを以前よりはわかってきた気がします。(未熟な自分を痛感するのもしょっちゅうなのですが・・・)
 そして、新しい人との出会いがある度に、見習うべきところも必ずあり、毎日が本当に修行だなあとしみじみ感じています。
 この先、4月に韓日高麗手指鍼学術大会(ソウルにて開催)、6月に、待ちに待った高麗手指鍼講座日本語版の出版記念パーティーと、大きな行事が目白押しで、本当にめまぐるしい毎日が過ぎていきますが、自分のいちばん基本となる道を踏み外すことなく、元気よくやっていきたいと思います。
 会員の皆様も、新たな環境でご活躍される方もいらっしゃると思いますが、お身体をくれぐれも大切に、お元気でお過ごし下さい。
 (この時期、花粉症とは全く無縁の自分の身体に、心から感謝をしたい気持ちです。苦しんでいらっしゃる皆様には、心よりお見舞いを申し上げます。)                          

 (伊藤)
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地球創庫だよりNo.73

いのちの求めていること その3

 いのち(生きている身体)は、本来生き続ける仕組み(代謝能力)を持っています。どこかの部分が勝手に悪くなるようには仕組まれていません。
部分的異常はあり得なく、全体からのものだと思います。異常と認識するのは、人と比べたり、通常と比べるからであって、経過的に見れば当然のことが起きているにすぎません。すべて理由があると思います。異常(病気)が起きてもそれも実は、生き続け、修復し、治ろうとするためにやっていることであって悪気はないと思います。
 いのちは物体だけではありません。変わり続けています。(代謝)生きる力は生まれながらに持っています。医学も科学も生命力には、はるかに及びません。生きるのも治るのも、100%生命力に他ならないと思います。
 いのちは動きを持っています。イメージや感覚、気分に反射的に反応する集合が行動です。
 心と体の動きを、一致させない事ができるのは人間だけです。人間は知識と学問のお陰で、意志(考え方)を持ちました。ところが、医学的知識は「治癒学」という学問がない事からも、いのち本来の意志(知恵)を認めません。現代医学はいのちの求めている事はさておいて、人間のできる医学マニュアルどおりの事をこなしてゆくのです。
 自分で自分のいのちと対話した事のない患者さんは、身体だけを診てくれる医療にいのち全部を預け、任せきりです。
 そういうひとまかせな事は、僕には恐ろしくてできません。
自分の命は自分で守らないで、誰が守ってくれるのでしょうか。
(中山)
ご意見番コーナー

毎日が矢のように過ぎていく日々が続きます。先月、ご紹介を致しましたが、今月末は韓国での学会に参加、6月には“高麗手指鍼講座日本語版”がいよいよ出版の運びとなりました。長い間、待ち望んでいた本だけに、本当に嬉しく思います。6月10日(日)に行われる予定の『出版記念パーティー』には、一人でも多くの方にご参加いただけたらと思い、料金も赤字ギリギリのところで企画いたしました。当日、皆様とお会いできますのを楽しみにしております。どうぞ、ふるってご参加下さい。
 新年度になり、鍼灸治療室ガイアそうこのキャストも、張り切って毎日を過ごしています。治療方法について、患者さんへの対応について、私自身の治療への考え方について、いろいろ聞かれることも多く、改めて問われると
結構いい加減に、でも楽しんで治療をしている自分に気づいたりもします。
もちろん治療は楽しいだけではありませんが、質問に答える自分に対し、「年を取るってこういうことなのかなあ。」と、ふと感じたりもします。正確には、《変わっていく自分に気づく》と言った方が良いのかもしれません。今後、どんなことが起こるのか楽しみでもあり、不安でもありますが、自分自身がそれを味わいながら、生きて行けたらいいなあと思っています。
    

(伊藤) 
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地球創庫だよりNo.74

第15回韓日高麗手指鍼学術大会に参加して

 皆様、いかがお過ごしでしょうか?今回は、4月24日・25日に韓国ソウルで行われた第15回韓日高麗手指鍼学術大会についてご報告します。6年ぶりに開催されることになった今回の大会は、まず4月24日にソウルのロッテホテルで前夜祭が行われました。
 韓国の手指鍼療法関係者はもちろん日本からも20数名が参加し、欧米各国からの人々も加え総勢500名の盛大な夕食会でした。その中では柳先生が、ここ数年の手指鍼療法関係の話題について話をされました。
 特に印象的だったのは、手指鍼療法学会関係者が訴えられ、裁判になったが、昨年の4月25日に勝訴したとの報告でした。
 韓国の制度では鍼灸師という資格はなく、西洋医師と漢方薬と鍼灸を主とする韓医師とが、開業して治療を行っています。その中で手指鍼療法が民間療法の一つとして発展してきたわけですが、無資格者が治療をしているということで訴えられた様です。
 それが最高裁でボランティアであれば手指鍼療法を行ってもよいとの判決が下ったのです。画期的な判決だったのでしょう、本当に柳先生が喜んでおられました。
 そして25日は朝から1800人の人が参加した大会が開催されました。日本大学名誉教授の谷津先生をはじめ、数々の方が興味深い発表をされました。その発表が夕方5時まで続き、閉会となりました。
 私自身大会に参加するのは3度目ですが、毎回毎回発表の論文のレベルがあがっている様に思います。はじめて参加した大会では「やった」「治った」「よかった」形式の発表が多かったのですが、今回は、鍼灸の科学化という見地からの論文も多く又、治療師の資格の法制化についての発表もあり、非常に勉強になった大会でした。 
 又、毎回そうですが、学会関係者の頑張りに目を見張るものがあります。日本人にとって、今回は待望の日本語版が出版される記念すべき年の大会でもあり、非常に印象に残った学術大会でした。
 6月10日には出版記念会も開催されますが、より手指鍼療法が身近になるという思いでソウルを後にしました。
 以 上
番外編
 大会以外では個人的にこの6年、目標としてきたことが達成されず、不完全燃焼の韓国の3日間でした。
 人間にはどうしても乗り越えることができない高くて厚い壁があるということがわかった旅でした。

(服 部)
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地球創庫だよりNo.75

いのちの求めている事 その4

 樋田医院への研修も11年になります。毎回2,30名の患者さんの治療に立ち会って、いつも心を動かされます。
 樋田先生は、体や症状よりも、奥にある、心のありようを問題にして、かたくなな心を解きほぐし、安心感や楽しさ、喜びに満たされるように教えながら、自分で気付かせるようにされているのを感じます。
 以前、チベット医学の三毒(貪欲、瞋恚、愚痴)の話を聞きました。毒にまみれたままの先は地獄で、それを克服できるのは六波羅蜜(禅定、忍唇、智慧、布施、持戒、精進)である、と。そしてその六つは、それぞれ人体の正中上の経穴が該当するのを、Oリングテストで見つけました。
 何と、布施が丹田と一致しました。
 布施について調べてみると、布施の根本は、人や物を自分の目でしっかりと見ることであるというのです。
 視線を外へ向けてしっかりと見つめると、ありがたかったり、嬉しかったり、楽しかったり、おいしかったり、きれいと感じたり、生きててよかったり、感動できたり。 その感動、感謝を表情や言葉、物(食品)に託して出す事が布施であり、ほほえみ、よい言葉も布施なのです。 布施は丹田力、充電力に通じ、布施をする(自分の目でしっかりと見る)とエネルギーは充実します。
 医、科学的知識(借りもの)で、自分の体を点検する(心配しながら、視線を内へ向ける)と放電し、自律神経に狂いをもたらします。
  いのちの求めていること−体まかせの知恵、いのち本来の知恵がうまく
働くように、邪魔をしたり、横やりを入れたりせず、健康や、体に対する
こだわりを持たない事だと思います。
(中山

地球創庫だよりNo.76

樋田先生講演会in沖縄

 7月5〜8日、樋田先生を始めとする総勢5名が、暑い暑い沖縄に行ってきました。
 出迎えてくださったのは、沖縄の暑さ以上に熱い情熱をもち、樋田先生を今か今かと待っていた治療家のKさんでした。 Kさんは、私の以前からの友人でもあり、樋田先生の治療、お人柄、考え方、その他全てに惚れ込んでいて『ぜひ!沖縄で樋田先生の講演会を!!』と切望していたのです。
 そして、その夢を実現させたのが今回の旅でした。
 初日の夜、Kさんの治療院のスタッフの皆様との食事会がありました。皆、樋田先生のお話を一言も聞き漏らすまいと熱心に耳を傾け、真剣にお話を聞いていました。(これは、4日間どの場面でも見られました。)
 二日目は、Kさんの患者さんの治療に樋田先生が当たられました。(Kさんの治療院は、樋田先生の影響をとても受けていることが伺えました。本当に樋田先生に心酔していらっしゃるのだなあと感動すら覚えました。)
 5人の患者さんの治療をされましたが、Kさんを始めスタッフの皆様は、樋田先生のお話を聞き、真剣にメモを取り、全員が全身全霊で治療に取り組んでいました。
 5人の患者さんは、どの方も重症な方ばかりでしたが、ご家族が付き添い、樋田先生の言葉に、時には涙を浮かべながら、真剣に聞き入っていました。
 三日目は待望の講演会でした。『癒しのしくみ』と題して約二時間、身振り手振りを交えての心温まるお話でした。約150名の方が真剣に聞き入っていました。
 あっという間の4日間ではありましたが、毎晩の懇親会は、初めて出会ったとは思えないほどスタッフの皆様とも意気投合し、おいしいお酒と沖縄料理に囲まれて、本当に楽しい会となりました。プライベートでも、Kさんのお父様に米軍基地の案内をして頂いたり、戦争の歴史を見て回ったり、海水浴をしたり、心身共に充実した旅でした。
 今回の旅で、私は自分の立場が如何に恵まれているのかを、恥ずかしい程に痛感しました。Kさん達にとっては、樋田先生は海の向こうの人で、どんなにお話を聞きたくても簡単には聞けないのです。でも、いつでも先生の所へ勉強に行ける私よりも、はるかに真剣に治療に取り組んでいらっしゃる気がしました。これは結構、胸に響きました。
 私にとっても、Kさん以上に感動した4日間でした。
 沖縄の皆様、本当に有り難うございました。              
(伊藤)

地球創庫だよりNo.77

自律神経調整法

 7〜8年前から、樋田先生が患者さんに教えていた簡単な動きと、意識によって、自律神経や生理機能をコントロールできる方法を、僕も患者さんに教えています。
 椅子に座った状態から立ち上がり、足踏みをするだけです。その時の姿勢と意識が大変重要で、腰を立て、上半身の力を抜いて、重心を両足の親指と母趾丘の真ん中まで持ち出し、スクッと立つことです。
 両足の親指と母趾丘の感覚をしっかり認識し、「重みは下!」と言いながら足踏みをし、その音を聞きながら全身の力を抜いていくと、数分で全身が正常さを取り戻してきます。
 一ヶ月くらい前から来院している、小脳変性症(難病指定)の患者さんがいます。数年前からふらつき始め、ろれつが回らなくなり、昨年の10月からは全く歩けなくなり、車椅子生活だといいます。手で支えれば立ち上がるだけはできると言うので、正式な立ち上がり方をしっかり教えました。
 まず、上半身の力の抜き方を忘れてしまっていて、力を入れている自覚がありません。肘掛けに乗せた前腕の手首を下から触れると、自分で持ち上げてしまいます。
 下側を意識させ、肩を上げてから脱力する練習を何回かすると、だんだん力が抜けてきました。
 その後、姿勢をチェックし、意識を下(両足親指とその中間点)に持っていき、立ってもらいました。
 おそるおそる立ち上がったのに、20秒、30秒立っていても全くふらつきません。回らないろれつで「どうしてフラフラしないの?」と聞かれて、
「上半身の力が抜けて、重みが下へかかっていて、重心が、親指と親指の間にあって、外へ出ないからです。」と答えました。
 膝の痛みがあって、フラフラしながらも一週間で歩き始めました。
 そして、ろれつがしっかりしてきて、電話の相手が「どうやって治ったの?」とビックリしていると喜んでいました。
 「体の力を抜く、重みは下、足は親指手は小指」は自律神経を整えるのにとても威力があります。
 しかし、脳に力みや依存があると、形式をなぞっても、威力は何分の一にも減少します。
 (中山)

地球創庫だよりNo.78  

断固たる措置が呼ぶもの

 
9月11日(火)の午後10時過ぎNHKのニュースを見ていた私の目に飛び込んできたのは、ニューヨークの貿易センタービルに衝突しようとする飛行機の姿だった。この一週間、アメリカのこの事件について多くの情報に接した。私なりに考えてみて、印象に残ったものをご紹介します。

 
−数年前のパキスタンの新聞の調査によれば、最も人気のある名前は「オサマ」だったという。アフガニスタンとの国境近くのある村では97年8月のアメリカのミサイル攻撃以来、500人以上の「オサマ」という名前の赤ちゃんが産まれたそうだ。
 今回のテロ事件の黒幕とされる「オサマ・ビン・ラディン」氏の「オサマ」である。なぜ息子を「オサマ」と名付けたかと聞かれた人が次のように答えた。「アメリカに挑戦し、アメリカを無視し、虐げられたイスラム教徒の代弁をしてくれるオサマ・ビン・ラディンの勇気にみんな感銘しているんだ。
自分の息子もオサマ・ビン・ラディンの志を継いで、イスラムの大義を支えて欲しいと思う。」−
 湾岸戦争から10年後にこんな惨事が引き起こされたわけだが、「米国対ソ連」という対立軸がなくなってしまった後、「イスラム対米国」という新たな対立軸が生まれてしまった。それは時間がたつにつれて報復が報復を呼ぶ。悪循環に陥っている。ここで戦争が起きれば、新たな報復という終わりのない泥沼が始まることになる。例えばラディン氏を殺したとしても第2、第3のラディン氏が必ず出てくると思う。それを全部殺すつもりならどっちがテロリストかわからない。
 犠牲者の方々と残された方々への補償・救済といった問題とは別に、日本はアメリカをただ単に支持するだけではなく、日本独自の考え、方向性を表すことが大切ではないだろうか。
 こんな事を考えていた一週間でした。
 会員の皆様は、どう思われましたか?

(服部)
ご意見番コーナー

このコーナーもなかなか更新できず自分一人が気にしています。今年は仕事以外にも、私的な面で良い事や大変な事が次々とやってきて、まさに自分を試されているといったところでしょうか。この大変な波を楽しみながらも『なーんにも考えずにぼや〜んとしていたいなあ・・・』と思ってみたりもします。しかし、今はこの波に乗っていかなければならないというか、乗る時だという気がするのです。この結果がどうでるのか自分でも楽しみです。タイミングやチャンスは目で見ることは難しいですが、大切に確実に、自分のものにしていきたいと思います。
 さて、今回は知人から頂きましたメールをご紹介致します。地球交響曲第四番で楽曲使用された「長屋和哉」氏の文章です。少し(かなり?)長い文章ですが、宜しかったら最後までおつき合い下さい。                     (伊藤)


************海辺の生と死〜『地球交響曲第四番』を観て**********  

 先日、『地球交響曲第四番』の第1回めの試写会が、東京赤坂の草月ホールで催された。舞台挨拶に立たれた龍村さんのお話によると、映画が完成したのは前々日のことらしく、つまりこの日の試写会は文字どおり初めての上映会だった。そんな初めての上映会にふさわしく、ホールには華やいだようなそわそわしたような、独特な雰囲気が充満していた。結婚式の披露宴を待つような雰囲気でもあった。知人たちも多く詰めかけていたが、誰もが幸福そうな笑顔をしていた。
 龍村さんとは、上映前に少しだけお話をすることができた。「君の曲、どこで使ってるか楽しみにしていてな」そう言って、龍村さんは笑った。いつもの満面の笑みだった。子供がいたずらを仕掛けたような無邪気な笑顔だった。
 そして、やはりいつもと変わらない力のこもった握手をした。
 僕は『地球交響曲第四番』に今まで以上の大きな興味を抱いていた。それは、今作中で僕の曲が流れるからという理由もあるにはあったが、それとは別にもっと大きな理由があった。
 それは、『第三番』の後の作品がどんなものになるのか知りたかったからであった。
『第三番』は、メインの登場者に予定していた写真家の星野道夫氏の突然の死によって、いわば主人公不在の映画となった。あるいは、「不在者=死者」の主人公をめぐるドキュメントであった。龍村さんのカメラは不在者を追い、その不在者のことを語る生きて在る者を撮り、かつて不在者がそこに存在したであろう風景に向かって執拗にフィルムを回していた。龍村さんはまるで、星野道夫氏の霊魂がそこに映り込むまでフィルムを回し続けているかのようだった。それは哀悼と、悲嘆と、困惑と、招魂のカメラだった。
 登場した人々は皆、星野道夫氏の突然の死によって、大きな空虚を胸に抱えてしまっ
ていた。それは本当に突然の死であり、唐突な不在感であり、彼らは一様にその空虚をどうしてよいのかわからずに迷い、涙を流し、悲嘆にくれていた。そして、その涙は龍村さんのものでもあったのだろう。僕たちは、登場した人々の涙と嗚咽の背後に、絶えず龍村さんの嗚咽を聞いていた。
 僕がこの『第三番』の後の作品に大きな関心を寄せたのは、その嗚咽が止んだ後、果たして彼はどんな声を上げるのだろうと思ったからだった。
 今作で登場する人たちは、ジェ−ムズ・ラブロック氏、ジェリー・ロペス氏、ジェーン・グドール女史、名嘉睦念氏の四人だった。ラブロック氏は「ガイア理論」の提唱者であり、いわば『地球交響曲』の母胎を形成した人である。ロペス氏はハワイに暮らす伝説的なサーファーで、いわゆるソウルサーファーの神様のような人。グドール女史はチンパンジー研究の大家で、チンパンジーにある叡智の豊かさを実証した人。そして名嘉氏は沖縄に住む天才的なアーティストで、自然との爆発的な交歓を描く版画で知られている。
 2時間15分の上映時間は、あっという間に過ぎ去った。どのエピソードも興味深く、愛情とスピリチュアリティに溢れていた。鬼神のごとく版画を掘り、イルカのごとく海に潜る睦念さん、地球そのもののパワーのような巨大な波に乗り、戯れるロペス氏、チンパンジーの鳴声を真似るグドール女史、深い森と聖地を散策するラブロック氏。彼らは皆、生の一瞬の流れのなかで精霊や不可視のエネルギーなどと交歓しながら、静かな歓喜に身を委ねているように見えた。
 だが、そんな歓喜の奔流に目を奪われながらも、僕の心にもっとも強い刻印を残したのは、海を静かに見つめるジェーン・グドール女史の眼差しだった。
 彼女はその時、海で遊ぶのが好きだった生前の夫のことを思い出していた。夫はすでに死者であるから、もはや海で遊ぶことは叶わないが、夫は私の目を通して海を眺め、私の体を使って海と戯れている、それが私にはわかるのだ、そんなことを彼女は語っていた。
 それは、静かな、静かな語り口だった。死者を想う優しい眼差しだった。夫を失った時には、凄まじい暴風雨のような悲しみと滂沱の涙が、きっと彼女を襲ったことだろう。
だが、海を見つめる彼女の眼差しのなかに、暴風雨はなかった。ただ、暴風雨が吹き荒れた後の静寂があるばかりだった。そして、その静寂は死を受け入れ、哀悼を受け入れ、失われてゆくあらゆる者を受け入れていた。そう、彼女の眼差しは、受け入れるというパッションへの意志そのもののようだったのだ。
 この「受け入れる」ことへの彼女の意志は、僕にはそのまま龍村さんの意志のように思われた。かつてあった暴風雨を受け入れ、胸に空いた空虚を受け入れること。大いなる受動への意志。グドール女史の眼差しは、死を通じて龍村さんの眼差しに重なっていた。彼女の言葉は、死への思索を通じて龍村さんの語る言葉にも聞こえた。そして僕は、ここに龍村さんが嗚咽の後に発した言葉を聞いたような気がした。
 そういえば、今作で登場した人たちは皆、死について語っていたのだった。「死は存在しない」とラブロック氏は語り、ロペス氏はサーフィンでの臨死体験を語った。そして睦念さんは親より先に死んでしまった子供への歌を作った。
 睦念さんはその歌を説明しながら、ふいに涙をこぼした。イルカのように海に遊び、祭では人一倍はしゃぎまわっていた生の極みのような男、鍛え抜かれた逞しい体と眩しいほど日焼けした肌を持った生命の極点にあるような彼が、映画の最後で死への涙を流すのであった。
 『第四番』では、この睦念さんのような生の極みやガイアとの交歓が描かれていながら、通奏低音のように静かに死への想いが貫かれていた。「死を想え」とは、チベット密教徒による言葉だが、それはまるで龍村さん自身の言葉のようでもあった。死を否定するのではなく、恐れるのではなく、悼むのでもなく、ただそれを静かに受け入れること。それが生命のあらゆる土台であり、叡智の源であり、生と死は一体であるということ。自らのかけがえのない生を生き、生を考え、想うことは、まず死を想うことによってのみ可能なのだということ。 そして、新しい神話を創造すること。
 龍村さんは、僕と会うたびに繰り返しそれを語っていた。新しい神話とは何なのか、そしてそんな神話が果たして本当に必要なのか、僕はいつも心もとなかったのだが、『第四番』を観て、ひとつの回答の萌芽がそこにあるような気がしてならなかった。
 新しい神話とは、ひょっとしたら、死を受容することに関わっているのかも知れないと思ったのだった。死を受け入れ、死を土台にして私たちの生命を考え、生き、そして、もっと生きること。新しい神話は、死という暴風雨を契機として、かけがえのない生命を生き抜くための基盤となり、支柱となるものかも知れないということ。
 ジェーン・グドール女史の眼差しの中に、そんな新しい神話の芽があるような気がしたのだった。
 そして、彼女の視線の果てには、広大な海が広がっていた。
 海は『第四番』を通じて、ほとんどずっと映し出されていた。海はガイアの母性そのもののように、あらゆるものを呑み込み、包み、抱きとめていた。そこには、睦念さんがいた。ロペス氏がいた。ラブロック氏がいて、グドール女史がいた。そして、グドール女史の逝ってしまった夫が抱きとめらていた。星野道夫氏が抱かれていた。
 海は、生を抱え、死を抱きしめ、そうして陽を跳ね返していた。

 『地球交響曲第四番』は、構成こそこれまでの『地球交響曲』シリーズと変わらないが、内容は『第三番』を経た龍村さんにしか成し得なかった素晴らしい映画だ。それは、死という暴風雨に翻弄されてふらふらになった一個の魂が、ようやく凪ぎの海に辿り着くまでの記録である。失ったものはあまりにも大きい。ただ、失ったものを静かな、透徹な眼差しで受け入れる時、それはなんと透明に澄みきった海を私たちに見せてくれることだろうか。
 
美しい海よ。死者の海よ。そして、生きる者の海よ。
 みつかった
 何が?
 永遠が
 海と溶け合う太陽が          (『地獄の季節』アルチュール・ランボオ)

 ふと、ランボオの詩を思い出した。ランボオが精神の地獄巡りの果てに見い出した「永遠」と「海と溶け合う太陽」。それはひょっとしたら、龍村さんがフィルムに焼き込んだ海にも似ていたかも知れない。
 龍村さんは、これからどこへ向かうのだろうか。この傑作をものにした一個の魂は、透明に澄みきった海へふたたび船を出すのだろうか。
 ガイアの潮流に乗って。
                                  (以上

地球創庫だよりNo.79

こころとからだ

 
毎日、患者さんと対面して、こころとからだのつながり、あるいはこころとからだが一体である事を話し続けています。
 痛みや症状部分の、そこが悪いのではない事を分からせるのは、至難の業です。患者さんは物(機械)として体をとらえ、部分品の良し悪しや検査値の異常が、痛みや不快感をもたらすと信じています。
 症状が、こころのありようや感情から出ていると理解できる人はごくまれです。こころや感情と向き合う習慣のある人が少なく、からだのせいにし、人まかせ、医者・薬まかせにどっぷりとつかっています。
 患者さんの痛みの部分が仮に悪いとして、何故そうなったか、なりゆきを詳しく解きほぐすと、当たり前の事が、起こるべくして起きている事が分かってきます。しかしほとんどの人は、頭では理解できても、「私自身がいけないのか」などと言いながら「だけど・・・」と納得するのを拒否します。
 究極の実験として、痛みや不快感のある部分に対して、触るか触らないかくらい軽く、さすりながら「ごめんね」、「大丈夫」、「ありがとう」等の一語を100回も200回も言わせると、症状が極端に良くなります。つまり、安心したふりをするだけでも体調が良くなるのに、心配し、「いやだいやだ」と思っている限り、治りが悪くなる事を納得してもらいます。
 しかし、言葉をかえ、わかりやすく例を上げ、言葉をつくし、何度話しても、納得する人は少数です。答えを説明しても、理解も納得もできないのは自分のものさしを持とうとしないからだと思います。
 知識に頼ったり、人や物に頼っている限り、こころとからだが一体である事は、いつまでも納得できないと思います。
 (中 山)
ご意見番コーナー

すっかり秋らしくなって参りました今日この頃ですが、皆様如何お過ごしでしょうか。世の中の情勢は不安定のままですが、せめて自分だけは地に足をしっかりつけて毎日を過ごしたいと思いつつ、フラフラと、相変わらずな生活を送っています。
 先日も、あるご縁で九州まで、一泊二日の往診に行って参りました。九州は、もう何年前になるのか、友人の結婚式で一度だけ行ったことがあります。その時も、あるご縁で知り合った患者さんにあちこちを案内して頂き、とても楽しい時間を過ごし、思い出深い場所となりました。
 数年前その方が亡くなられ、おそらくもう二度と行くことはないんだろうなあと思っていたのです。それだけに、今回、トントン拍子に進んでいった九州訪問は不思議な気持ちでいっぱいでした。
 天候にも恵まれ、何年ぶりかに見た太宰府天満宮や、博多の街の印象は、私の中では、昔とちっとも変わっていません。
 以前写真を撮った場所や、眺めている景色の中に、亡くなられた方が思い浮かんできて、時の流れをしみじみと感じさせられました。
 その方は末期癌の患者さんでしたが、樋田先生にも診察して頂いたりしてとてもお元気になられたのです。しかし、最期は遠いところまで来て頂くのもご迷惑になるからと、連絡をもらえませんでした。私が、亡くなられた事を知ったのは、喪中のハガキでした。
 所詮、私個人の力なんて大したものではありませんが、何らかの方法を見い出せたのではないかと思うと、今でも本当に悔やまれます。
 そんなことから、私自身は、都合のつく限り、日本全国どこにでも、必要とされる限り、往診に伺おうと決めています。(高麗手指鍼治療だとなかなかそういう機会もないのですが、)もしもの時は、いつでも声をお掛け下さい。
 しかし、なんといっても今回の旅でいちばん驚いたのは、博多−名古屋間は、新幹線より飛行機の方が安いということでした。本当にすごい世の中になってきているのだなあとひたすら感心させられました。     
(伊藤)

地球創庫だよりNo.80

こころとからだ その2

 全身の不快症状や痛みを、クドクドと、辛そうな顔つきで話し続ける患者さんがいます。僕は割って入って
「そういう話をすると、気分良くなりますか?」と聞きます。そして「僕は聞いていて、良い気分はしません。
誰が聞いても気分良いことではないし、あなたの身体自身、嬉しくないと思いますよ。健康でありたいと思うなら、自分の身体が弱いという不平不満を言いたい気持ちを変える気にならなければ、いつまでたっても治る力は出てきませんよ。身体は本来、新陳代謝といって新しく生まれ変わりながら生き続け、治り続けているのに、邪魔をしまくっているのはあなた自身ですよ!」と、強い調子で偉そうに言ってしまって、少し後悔し、「怒っているんじゃありませんよ。」と言い訳します。
 身体に責任をなすりつけ、本人の心は除外するというのは、科学的とする現代医学の常套手段です。
 目に見えない、耳にも聞こえない、匂わず、味もなく、手にも触れず、計測もできないエネルギーのかたまり。
 そういうエネルギー体と肉体とが一体となったものが、人間であると思います。
 心と身体がしなやかであれば、エネルギー代謝は本来の流動性を損なうことはなく、知られていないほど複雑に、活発に、整然としかも当たり前にとりおこなわれています。
 症状は、身体の側からの言い分として「ここの流れがツッカエているぞ!」とか「今、ここの流れを良くしているところだよ!」と言っている有り難い信号であると思います。
 自分の感情やこころと向き合う練習は、自分で考え、自分で判断する練習でもあると思います。

(中 山)
ご意見番コーナー

今月は「地球創庫だより」の勢いそのままに、中山さんからのご意見です。

樋田先生
 師匠が今月末に、2冊目の本を出版されます。「からだと心を癒す30のヒント」という一般の人にも読みやすく、ためになる本だと思います。
 僕にとっての師匠、樋田和彦氏は間中喜雄、野口晴哉、沖 正弘、柳 泰佑、等々の全ての人達の要素を併せ持った、スゴイ臨床家であると思います。
 毎週火曜日の研修(臨床見学)も500回を越えました。(10年と8ヶ月)その間に書き留めた「語録集」を読み返してみると、新ためて師匠の「いのち」に対する深い思いが伝わってきます。60歳を越えられた今も、探究心旺盛で、若さに溢れています。
 僕は、素晴らしい人に巡り会えた幸せを噛みしめています。乾杯! 

                                                       (中山)

 
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